はじめに
これまで、ベクトルの線形結合や線形独立、基底について見てきました。
たとえば、2本のベクトル \(\boldsymbol{a},\ \boldsymbol{b}\) があるとき、
$$
s\boldsymbol{a}+t\boldsymbol{b}
$$
という線形結合を考えることで、平面上のさまざまなベクトルを作ることができました。そして、その空間全体を作るために必要な線形独立なベクトルの組が基底でした。
では、ここでいう「空間」とは、そもそも何なのでしょうか。
これまでは、2次元なら平面、3次元なら空間というように、図形として「空間」を考えてきました。しかし、線形代数では、この考え方をさらに一般化します。
ベクトル空間とは、ベクトルを足したり定数倍したりしても、その中にとどまるような「ベクトルの集まり」のことです。
今回は、これまで学んできた線形結合と基底から出発して、線形代数でいうベクトル空間とは何なのかを考えていきます。



1.これまで「平面」を作ってきた
まず、これまで学んできた線形結合を振り返ってみましょう。たとえば、
$$
\boldsymbol{a}
=
\begin{pmatrix}
1\\
0
\end{pmatrix},
\quad
\boldsymbol{b}
=
\begin{pmatrix}
0\\
1
\end{pmatrix}
$$
という2本のベクトルを考えます。
この2本を使って \(s\boldsymbol{a}+t\boldsymbol{b}\) という線形結合を作ると、
$$
s
\begin{pmatrix}
1\\
0
\end{pmatrix}
+
t
\begin{pmatrix}
0\\
1
\end{pmatrix}
=
\begin{pmatrix}
s\\
t
\end{pmatrix}
$$
となります。
\(s,\ t\) を自由に変えれば、平面上のどんなベクトルでも作ることができます。つまり、この2本のベクトルの線形結合によって平面全体が作られています。
線形結合を考えることは、「与えられたベクトルから、どこまでのベクトルを作れるのか」を考えることでした。
この様子を図で見ると、2本のベクトルから「空間」が作られるという意味が分かりやすくなります。

図の赤いベクトルは、\(s\boldsymbol{a}+t\boldsymbol{b}\) で作られるベクトルのひとつです。\(s,\ t\) の値を変えるとその先端は平面上を自由に動き、平面上のあらゆるベクトルを作ることができます。
つまり、私たちはこれまで線形結合を考えることで、すでに「ベクトルから空間を作る」ということをしていたのです。
2.では「ベクトル空間」とは何か?
ここから少し視点を変えてみましょう。平面上にあるすべてのベクトルの集まりを \(\mathbb{R}^2\) と表します。
たとえば、
$$
\begin{pmatrix}
2\\
1
\end{pmatrix},
\quad
\begin{pmatrix}
-3\\
4
\end{pmatrix},
\quad
\begin{pmatrix}
0\\
0
\end{pmatrix}
$$
などは、すべて \(\mathbb{R}^2\) に含まれるベクトルです。
では、この中から2つのベクトル \(\boldsymbol{u},\ \boldsymbol{v}\) を取り出してみましょう。\(\boldsymbol{u},\ \boldsymbol{v}\) がどんなベクトルであっても、\(\boldsymbol{u}+\boldsymbol{v}\) はやはり \(\mathbb{R}^2\) のベクトルになります。また、\(\boldsymbol{u}\) を実数 \(c\) 倍した \(c\boldsymbol{u}\) も \(\mathbb{R}^2\) の中にあります。
つまり、\(\mathbb{R}^2\) のベクトル同士を足したり実数倍したりしても、結果はやはり2成分のベクトルです。突然3成分のベクトルになって \(\mathbb{R}^3\) へ移ったり、まったく別の種類のものになったりすることはありません。
このように、ある集合の中にあるベクトルに足し算や定数倍を行っても、結果が同じ集合の中にとどまる性質を「閉じている」といいます。
ベクトル空間の中心にあるのは、「足し算」と「定数倍をしても、その空間の中にとどまる」という性質です。
これが、ベクトル空間を考える出発点です。
3.なぜ「線形結合」が重要なのか
ベクトル空間で重要なのが、これまで何度も登場してきた線形結合です。\(\boldsymbol{u},\ \boldsymbol{v}\) があるベクトル空間 \(V\) に含まれているとします。
ベクトル空間では、定数倍しても空間の中にとどまるので、\(s\boldsymbol{u},\ t\boldsymbol{v}\) も \(V\) に含まれます。さらに、それらを足しても空間の中にとどまるため、
$$
s\boldsymbol{u}+t\boldsymbol{v}\in V
$$
となります。
つまり、ベクトル空間ではその中にあるベクトルを線形結合しても、必ず同じ空間の中にとどまります。
これまで線形結合を学んだときには、「ベクトルを何倍かして足す操作」として考えてきました。ベクトル空間という立場から見ると、その線形結合こそが空間の中で自由に行える基本操作だったことが分かります。
ベクトル空間とは、線形結合をしても外へ出ないベクトルの集まりだと考えると、イメージしやすくなります。
4.直線もベクトル空間になる
ベクトル空間というと、平面全体や3次元空間全体を想像するかもしれません。しかし、もっと小さなものもベクトル空間になります。
たとえば、1本のベクトル、
$$
\boldsymbol{a}
=
\begin{pmatrix}
1\\
2
\end{pmatrix}
$$
を考えます。このベクトルを実数 \(t\) 倍してできる \(t\boldsymbol{a}\) というベクトルをすべて集めると、原点を通る1本の直線になります。
この直線上の2つのベクトルを足しても、結果は同じ直線上にあります。また、どれか1つを定数倍しても、やはり同じ直線上にあります。したがって、この直線もベクトル空間として考えることができます。
では、直線なら何でもベクトル空間になるのでしょうか。ここで、原点を通る直線と原点を通らない直線を比べてみましょう。

左の直線は原点を通っているため、\(\boldsymbol{0}\) を含んでいます。一方、右の \(\boldsymbol{p}+t\boldsymbol{a}\) で表される直線は原点からずれているため、\(\boldsymbol{0}\) を含んでいません。
この違いは、ベクトル空間を考えるうえで重要です。ベクトル空間に任意のベクトル \(\boldsymbol{u}\) が含まれているなら、その \(0\) 倍である \(0\boldsymbol{u}=\boldsymbol{0}\) も同じ空間に含まれていなければなりません。
したがって、\(\boldsymbol{p}+t\boldsymbol{a}\) のように原点からずれた直線は、見た目は直線でもベクトル空間にはなりません。同じように、原点を通る平面はベクトル空間になる場合がありますが、原点からずれた平面は零ベクトルを含まないため、そのままではベクトル空間にはなりません。
ベクトル空間には必ず零ベクトルが含まれます。そのため、原点を通る直線はベクトル空間になりますが、原点を通らない直線はベクトル空間にはなりません。
ここから分かるように、ベクトル空間は単なる「ベクトルがたくさん集まっている場所」ではありません。足し算や定数倍という操作に対して、きちんと閉じている集まりなのです。
5.ベクトル空間のルールをもう少し正確に見る
ここまでは、「足し算と定数倍をしても外へ出ない」というイメージで考えてきました。数学では、ベクトル空間にはもう少し正確なルールがあります。
まず、ベクトル同士を足したり実数倍したりしても同じ集合の中にとどまり、さらに次のような性質が成り立つことを要求します。
たとえば、ベクトル \(\boldsymbol{u},\ \boldsymbol{v},\ \boldsymbol{w}\) と実数 \(a,\ b\) に対して、
- \(\boldsymbol{u}+\boldsymbol{v}=\boldsymbol{v}+\boldsymbol{u}\)
- \((\boldsymbol{u}+\boldsymbol{v})+\boldsymbol{w}=\boldsymbol{u}+(\boldsymbol{v}+\boldsymbol{w})\)
- 零ベクトル \(\boldsymbol{0}\) が存在する
- \(\boldsymbol{u}\) に対して \(-\boldsymbol{u}\) が存在する
- \(a(\boldsymbol{u}+\boldsymbol{v})=a\boldsymbol{u}+a\boldsymbol{v}\)
- \((a+b)\boldsymbol{u}=a\boldsymbol{u}+b\boldsymbol{u}\)
- \(a(b\boldsymbol{u})=(ab)\boldsymbol{u}\)
- \(1\boldsymbol{u}=\boldsymbol{u}\)
といった性質が成り立つことを要求します。
こうして並べると難しそうに見えますが、\(\mathbb{R}^2\) や \(\mathbb{R}^3\) で普通にベクトルを計算しているときには、どれも自然に使ってきた性質です。
ベクトル空間の公理は、これまで普通に行ってきた「ベクトルの足し算」と「定数倍」が、きちんと矛盾なくできることをルールとして整理したものです。
最初からすべての公理を暗記するよりも、まずは「線形結合を自由に行える空間」というイメージを持っておくと理解しやすくなります。
6.基底から見るとベクトル空間が分かりやすい
ここで、これまで学んだ基底につなげてみましょう。\(\mathbb{R}^2\) では、
$$
\boldsymbol{e}_1=
\begin{pmatrix}
1\\
0
\end{pmatrix},
\quad
\boldsymbol{e}_2=
\begin{pmatrix}
0\\
1
\end{pmatrix}
$$
という2本のベクトルを使えば、任意のベクトルを \(x\boldsymbol{e}_1+y\boldsymbol{e}_2\) と表すことができます。つまり、この2本の線形結合によって \(\mathbb{R}^2\) 全体を作ることができます。
しかも、\(\boldsymbol{e}_1,\ \boldsymbol{e}_2\) は線形独立です。そのため、この2本は \(\mathbb{R}^2\) の基底になります。
基底とは、ベクトル空間全体を線形結合によって作ることができる、線形独立なベクトルの組です。
こう考えると、線形結合 → ベクトル空間 → 基底というつながりが見えてきます。
線形結合によって作ることのできるベクトルの集まりがあり、その空間全体を作るために必要な線形独立なベクトルを選んだものが基底なのです。
7.「ベクトル」は矢印だけではない
ここまでは、
$$
\begin{pmatrix}
x\\
y
\end{pmatrix}
$$
のような数を並べたベクトルを考えてきました。しかし、ベクトル空間という考え方が重要なのは、もっと広いものを同じ仕組みで扱えるところにあります。
たとえば、\(a+bx+cx^2\) という形の多項式全体を考えてみましょう。2つの多項式を足しても同じ形の多項式になり、実数倍してもやはり同じ形の多項式になります。
一見すると、多項式とこれまで扱ってきた数ベクトルはまったく違うものに見えます。しかし、係数に注目すると両者の共通点が見えてきます。
たとえば、数ベクトル
$$
\begin{pmatrix}
1\\
2\\
-1
\end{pmatrix}
$$
と、多項式 \(1+2x-x^2\) を比べてみましょう。

数ベクトルは3つの数 \((1,\ 2,\ -1)\) で決まり、多項式も3つの係数 \((1,\ 2,\ -1)\) で決まっています。見た目は違いますが、どちらも足し算と定数倍ができ、同じように線形結合を考えることができます。
さらに、数ベクトルでは \(\boldsymbol{e}_1,\ \boldsymbol{e}_2,\ \boldsymbol{e}_3\) を組み合わせるのと同じように、多項式では \(1,\ x,\ x^2\) を組み合わせてさまざまな多項式を作ることができます。つまり、見た目は違っていても、どちらにも「いくつかの基本的な要素を線形結合して全体を作る」という共通の構造があります。
ここでいう「ベクトル」は、必ずしも平面上の矢印である必要はありません。
線形代数でいうベクトルとは、「足し算」と「定数倍」ができ、ベクトル空間のルールを満たす対象です。数の組だけでなく、多項式や関数などもベクトルとして扱える場合があります。
これが、ベクトル空間を考える大きな理由です。
8.なぜベクトル空間まで一般化するのか
多項式の例から分かるように、ベクトル空間を考える目的は、単に「ベクトル」の意味を広げることではありません。見た目の違う対象を、同じ線形代数の仕組みで扱えるようにすることにあります。
たとえば、
- 数を並べたベクトル
- 多項式
- 関数
- 行列
なども、適切な足し算と定数倍を考えれば、ベクトル空間として扱える場合があります。すると、これまで学んできた線形結合・線形独立・基底という考え方を、そのまま使うことができます。
ベクトル空間という考え方によって、「足し算と定数倍ができる」という共通点を持つさまざまな対象を、同じ線形代数の言葉で扱えるようになります。
つまり、ベクトル空間は新しい計算方法というより、これまで学んできた線形代数をより広い対象へ使えるようにするための考え方なのです。
9.これまでの線形結合・基底がひとつにつながる
ここまでの流れを整理してみましょう。
まず、ベクトルを定数倍して足す線形結合を考えました。
$$
a_1\boldsymbol{v}_1+\cdots+a_n\boldsymbol{v}_n
$$
線形結合によって作られるベクトルを集めると、ひとつの空間が見えてきます。
そして、その空間の中で重複していない方向を考えるのが線形独立です。その中から、空間全体を作るために必要なベクトルを選んだものが基底でした。
この流れを整理すると、
線形結合
↓
ベクトルを組み合わせる
↓
ベクトル空間
↓
線形結合を自由に行える「舞台」
↓
線形独立
↓
重複していない方向を見つける
↓
基底
↓
空間全体を作るためのベクトルを選ぶ
という関係になります。
ベクトル空間は、これまで学んできた線形結合・線形独立・基底が存在する「舞台」だと考えることができます。
この「舞台」をはっきりさせることで、これから学ぶ線形代数の概念も整理しやすくなります。
10.次は「空間の中にある空間」を考える
今回は、ベクトル空間を「線形結合をしても外へ出ないベクトルの集まり」として考えてきました。しかし、ひとつのベクトル空間の中には、さらに小さなベクトル空間が含まれていることがあります。
たとえば、\(\mathbb{R}^2\) は平面全体ですが、その中にある原点を通る直線もベクトル空間でした。つまり、ベクトル空間の中に、別のベクトル空間が存在することがあります。
このような空間を部分空間といいます。次回は、「どんな集合なら、ベクトル空間の中の小さなベクトル空間になるのか?」という視点から、部分空間について考えていきます。
まとめ
今回は、ベクトル空間とは何かを、これまで学んできた線形結合と基底から考えてきました。
ベクトル空間では、ベクトルを足したり定数倍したりしても、その空間の中にとどまります。そのため、空間の中にあるベクトルを自由に線形結合することができます。
そして、その空間全体を線形結合によって作ることができる線形独立なベクトルの組が基底です。
線形結合は「ベクトルを組み合わせる操作」、ベクトル空間は「その操作を自由に行える舞台」、基底は「その舞台全体を作るために必要なベクトル」です。
ベクトル空間という考え方を導入すると、これまで別々に見えていた線形結合・線形独立・基底が、ひとつの構造として見えてきます。そして、この空間の中にある「小さなベクトル空間」を考えたものが、次回扱う部分空間です。


そう感じた人には、線形代数を基礎から解説してくれる本もおすすめです。



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