はじめに
これまでの記事では、行列が線形写像を表すことや、行列の掛け算が線形写像の合成に対応することを学びました。
では、行列の「行」と「列」を入れ替えると、どのような行列になるのでしょうか。
この操作によって得られるのが、転置行列です。
転置行列は、単に行と列を入れ替えるだけの操作に見えるかもしれません。しかし、行列の掛け算やベクトルの内積と深く関係しており、線形代数のさまざまな場面で重要な役割を持ちます。
転置行列は、行列の行と列を入れ替えて作る行列です。特に、行列の積を転置すると掛ける順番が逆になり、内積では行列の作用を一方のベクトルから他方へ移すことができます。
この記事では、転置行列の定義から基本的な性質を導き、行列の掛け算や内積との関係を理解しましょう。
この記事でわかること
- 転置行列の定義と作り方
- 転置すると行列の大きさがどう変わるのか
- 転置行列の基本的な性質とその理由
- 行列の積を転置すると掛ける順番が逆になる理由
- 転置行列と内積、対称行列の関係
1.転置行列とは何か?
まず、転置行列がどのような操作なのかを確認しましょう。
1.1.行と列を入れ替える
次の行列を考えます。
$$
A=
\begin{pmatrix}
1&2&3\\
4&5&6
\end{pmatrix}
$$
この行列の第1行は、
$$
\begin{pmatrix}1&2&3\end{pmatrix}
$$
第2行は、
$$
\begin{pmatrix}4&5&6\end{pmatrix}
$$
です。
それぞれの行を列として並べると、
$$
A^{\mathsf T}=
\begin{pmatrix}
1&4\\
2&5\\
3&6
\end{pmatrix}
$$
となります。
このように、行列 \(A\) の行と列を入れ替えて作った行列を、転置行列と呼び、\(A^{\mathsf T}\) と表します。

図では、元の行列の各行が、転置行列の各列に対応することを示しています。ここで重要なのは、行と列を入れ替えるだけで、成分の値そのものは変わらないことです。
1.2.転置行列の定義
一般に、\(m\) 行 \(n\) 列の行列を、
$$
A=(a_{ij})
$$
とします。
このとき、転置行列 \(A^{\mathsf T}\) は \(n\) 行 \(m\) 列の行列であり、その成分は、
$$
(A^{\mathsf T})_{ij}=a_{ji}
$$
で定義されます。
つまり、元の行列の第 \(j\) 行・第 \(i\) 列の成分が、転置行列の第 \(i\) 行・第 \(j\) 列の成分になります。
したがって、
$$
A\in\mathbb{R}^{m\times n}
\quad\Longrightarrow\quad
A^{\mathsf T}\in\mathbb{R}^{n\times m}
$$
です。
たとえば、\(2\times3\) 行列を転置すると、\(3\times2\) 行列になります。
また、列ベクトルを転置すると行ベクトルになります。
$$
\boldsymbol{x}=
\begin{pmatrix}
x_1\\x_2
\end{pmatrix}
\quad\Longrightarrow\quad
\boldsymbol{x}^{\mathsf T}=
\begin{pmatrix}
x_1&x_2
\end{pmatrix}
$$
この行ベクトルと列ベクトルの関係は、後ほど内積を考えるときに重要になります。
2.転置行列にはどのような性質があるのか?
転置行列の定義がわかったところで、基本的な性質を確認しましょう。
2.1.2回転置すると元に戻る
行列を転置すると、行と列が入れ替わります。さらにもう一度転置すると、入れ替わった行と列が元に戻ります。
したがって、
$$
(A^{\mathsf T})^{\mathsf T}=A
$$
が成り立ちます。
成分で考えると、
$$
\begin{aligned}{}
((A^{\mathsf T})^{\mathsf T})_{ij}
&=(A^{\mathsf T})_{ji}\\
&=a_{ij}
\end{aligned}
$$
となるためです。
これは、正方行列だけでなく、長方形の行列でも成り立ちます。
2.2.和とスカラー倍の転置
同じ大きさの行列 \(A,B\) に対して、
$$
(A+B)^{\mathsf T}
=A^{\mathsf T}+B^{\mathsf T}
$$
が成り立ちます。
なぜなら、行列の和は対応する成分同士を足す操作であり、転置は成分の位置を入れ替える操作だからです。
実際に、第 \(i\) 行・第 \(j\) 列の成分を考えると、
$$
\begin{aligned}{}
((A+B)^{\mathsf T})_{ij}
&=(A+B)_{ji}\\
&=a_{ji}+b_{ji}\\
&=(A^{\mathsf T})_{ij}+(B^{\mathsf T})_{ij}
\end{aligned}
$$
となります。
また、任意のスカラー \(c\) に対して、
$$
(cA)^{\mathsf T}=cA^{\mathsf T}
$$
も成り立ちます。
つまり、転置は行列の和とスカラー倍を保つ操作です。
3.行列の積を転置すると、なぜ順番が逆になるのか?
転置行列の重要な性質の1つが、行列の積との関係です。
3.1.行列の積の転置
掛け算が定義できる行列 \(A,B\) に対して、次の関係が成り立ちます。
$$
(AB)^{\mathsf T}=B^{\mathsf T}A^{\mathsf T}
$$
注目したいのは、転置すると行列を掛ける順番が逆になることです。
一般に、行列の掛け算では \(AB\ne BA\) なので、単純にそれぞれを転置して同じ順番で掛ければよいわけではありません。
では、なぜ順番が逆になるのでしょうか。
3.2.成分から理由を導く
行列 \(A\) を \(m\times n\) 行列、行列 \(B\) を \(n\times p\) 行列とします。
行列の掛け算の定義から、
$$
(AB)_{ij}
=\sum_{k=1}^{n}a_{ik}b_{kj}
$$
です。
積 \(AB\) を転置すると、第 \(i\) 行・第 \(j\) 列の成分は、
$$
\begin{aligned}{}
((AB)^{\mathsf T})_{ij}
&=(AB)_{ji}\\
&=\sum_{k=1}^{n}a_{jk}b_{ki}
\end{aligned}
$$
となります。
ここで、各成分は実数なので、掛ける順番を入れ替えることができます。
$$
\begin{aligned}{}
((AB)^{\mathsf T})_{ij}
&=\sum_{k=1}^{n}b_{ki}a_{jk}\\
&=\sum_{k=1}^{n}(B^{\mathsf T})_{ik}(A^{\mathsf T})_{kj}\\
&=(B^{\mathsf T}A^{\mathsf T})_{ij}
\end{aligned}
$$
したがって、
$$
(AB)^{\mathsf T}=B^{\mathsf T}A^{\mathsf T}
$$
が導かれます。つまり、積を転置すると掛ける順番が逆になるのは、行と列の役割が入れ替わるためです。
3.3.具体例で確かめる
次の2つの行列を考えます。
$$
A=
\begin{pmatrix}
1&2\\
3&4
\end{pmatrix},
\quad
B=
\begin{pmatrix}
2&0\\
1&3
\end{pmatrix}
$$
まず、行列の積を求めると、
$$
AB=
\begin{pmatrix}
4&6\\
10&12
\end{pmatrix}
$$
となります。
これを転置すると、
$$
(AB)^{\mathsf T}=
\begin{pmatrix}
4&10\\
6&12
\end{pmatrix}
$$
です。
一方、それぞれの行列を転置すると、
$$
A^{\mathsf T}=
\begin{pmatrix}
1&3\\
2&4
\end{pmatrix},
\quad
B^{\mathsf T}=
\begin{pmatrix}
2&1\\
0&3
\end{pmatrix}
$$
となります。
掛ける順番を逆にして計算すると、
$$
\begin{aligned}{}
B^{\mathsf T}A^{\mathsf T}
&=
\begin{pmatrix}
2&1\\
0&3
\end{pmatrix}
\begin{pmatrix}
1&3\\
2&4
\end{pmatrix}\\
&=
\begin{pmatrix}
4&10\\
6&12
\end{pmatrix}
\end{aligned}
$$
となり、先ほどの結果と一致します。
行列の積の転置では、\((AB)^{\mathsf T}=B^{\mathsf T}A^{\mathsf T}\) が成り立ちます。これは行列の掛け算の成分表示から導かれる性質であり、転置によって行と列の役割が入れ替わることに対応しています。
4.転置行列は内積とどのようにつながるのか?
ここまでは、行列の成分を入れ替える操作として転置を考えてきました。
しかし、転置行列には、もう1つ重要な意味があります。それが、ベクトルの内積との関係です。
4.1.内積を行列の積で表す
2つの列ベクトルを、
$$
\boldsymbol{x}=
\begin{pmatrix}
x_1\\x_2
\end{pmatrix},
\quad
\boldsymbol{y}=
\begin{pmatrix}
y_1\\y_2
\end{pmatrix}
$$
とします。
この2つのベクトルの内積は、
$$
\boldsymbol{x}\cdot\boldsymbol{y}
=x_1y_1+x_2y_2
$$
です。
一方、\(\boldsymbol{x}\) を転置すると、
$$
\boldsymbol{x}^{\mathsf T}
=
\begin{pmatrix}
x_1&x_2
\end{pmatrix}
$$
となるため、
$$
\begin{aligned}{}
\boldsymbol{x}^{\mathsf T}\boldsymbol{y}
&=
\begin{pmatrix}
x_1&x_2
\end{pmatrix}
\begin{pmatrix}
y_1\\y_2
\end{pmatrix}\\
&=x_1y_1+x_2y_2
\end{aligned}
$$
が得られます。
したがって、実数ベクトルの標準的な内積は、
$$
\boldsymbol{x}\cdot\boldsymbol{y}
=\boldsymbol{x}^{\mathsf T}\boldsymbol{y}
$$
と表せます。
つまり、転置を使うことで、ベクトルの内積を行列の掛け算として表現できるのです。
4.2.行列の作用を内積の反対側へ移す
ここで、行列 \(A\) とベクトル \(\boldsymbol{x},\boldsymbol{y}\) を考えます。
行列 \(A\) が \(m\times n\) 行列、\(\boldsymbol{x}\) が \(n\) 次元、\(\boldsymbol{y}\) が \(m\) 次元の実数ベクトルであるとします。
このとき、
$$
(A\boldsymbol{x})\cdot\boldsymbol{y}
$$
という内積を考えることができます。
内積を行列の積で表すと、
$$
(A\boldsymbol{x})\cdot\boldsymbol{y}
=(A\boldsymbol{x})^{\mathsf T}\boldsymbol{y}
$$
です。
ここで、先ほど学んだ行列の積の転置を使うと、
$$
(A\boldsymbol{x})^{\mathsf T}
=\boldsymbol{x}^{\mathsf T}A^{\mathsf T}
$$
となるため、
$$
\begin{aligned}{}
(A\boldsymbol{x})\cdot\boldsymbol{y}
&=\boldsymbol{x}^{\mathsf T}A^{\mathsf T}\boldsymbol{y}\\
&=\boldsymbol{x}\cdot(A^{\mathsf T}\boldsymbol{y})
\end{aligned}
$$
が成り立ちます。
したがって、
$$
(A\boldsymbol{x})\cdot\boldsymbol{y}
=
\boldsymbol{x}\cdot(A^{\mathsf T}\boldsymbol{y})
$$
という関係が得られます。
この関係を、具体的なベクトルと行列を使って確認してみましょう。
$$
A=
\begin{pmatrix}
1&2\\
0&1
\end{pmatrix},
\quad
\boldsymbol{x}=
\begin{pmatrix}
1\\1
\end{pmatrix},
\quad
\boldsymbol{y}=
\begin{pmatrix}
2\\1
\end{pmatrix}
$$
このとき、\(A\boldsymbol{x}\) と \(A^{\mathsf T}\boldsymbol{y}\) をそれぞれ求め、内積を比較します。

図では、左側の内積では行列 \(A\) が \(\boldsymbol{x}\) に作用し、右側の内積では転置行列 \(A^{\mathsf T}\) が \(\boldsymbol{y}\) に作用することを示しています。具体例でも、どちらの内積も \(7\) になっています。つまり、内積の中で、行列の作用を一方のベクトルから他方のベクトルへ移すとき、転置行列が現れるのです。
ただし、\(A\) と \(A^{\mathsf T}\) が同じ変換を表すという意味ではありません。内積の値を保つ形で、行列の作用を移し替えられるということです。この性質は、今後学ぶ直交性や射影、最小二乗法などでも重要になります。
5.対称行列とは何か?
最後に、転置行列と関係の深い「対称行列」を紹介します。
5.1.転置しても変わらない行列
正方行列 \(A\) が、
$$
A^{\mathsf T}=A
$$
を満たすとき、\(A\) を対称行列と呼びます。
たとえば、
$$
A=
\begin{pmatrix}
2&1\\
1&3
\end{pmatrix}
$$
を考えます。
この行列を転置すると、
$$
A^{\mathsf T}=
\begin{pmatrix}
2&1\\
1&3
\end{pmatrix}
=A
$$
となります。
したがって、この行列は対称行列です。
一般に、対称行列では、
$$
a_{ij}=a_{ji}
$$
が成り立ちます。
つまり、左上から右下へ向かう対角線を挟んで、成分が対称に配置されているのです。
5.2.転置行列から対称行列を作る
転置行列を使うと、任意の実数行列 \(A\) から対称行列を作ることができます。
たとえば、
$$
A^{\mathsf T}A
$$
を考えてみましょう。
これを転置すると、
$$
\begin{aligned}{}
(A^{\mathsf T}A)^{\mathsf T}
&=A^{\mathsf T}(A^{\mathsf T})^{\mathsf T}\\
&=A^{\mathsf T}A
\end{aligned}
$$
となります。
したがって、\(A^{\mathsf T}A\) は対称行列です。
また、任意の実数ベクトル \(\boldsymbol{x}\) に対して、
$$
\begin{aligned}{}
\boldsymbol{x}^{\mathsf T}A^{\mathsf T}A\boldsymbol{x}
&=(A\boldsymbol{x})^{\mathsf T}(A\boldsymbol{x})\\
&=\|A\boldsymbol{x}\|^2\\
&\ge 0
\end{aligned}
$$
も成り立ちます。
このように、\(A^{\mathsf T}A\) には対称性に加えて、ベクトルの長さの2乗と結びつく性質があります。この性質は、最小二乗法や最適化などを理解するときにも重要になります。
ただし、今回の記事では転置行列の基本的な意味を理解することを目的としているため、詳しい応用については今後の記事で扱います。
まとめ
今回は、転置行列の定義から基本的な性質を導き、行列の掛け算や内積との関係を考えました。
重要なポイントを整理します。
- 転置行列は、元の行列の行と列を入れ替えて作る行列である。
- \(m\times n\) 行列を転置すると、\(n\times m\) 行列になる。
- 転置を2回行うと、元の行列に戻る。
- 転置は行列の和とスカラー倍を保つ。
- 行列の積を転置すると、掛ける順番が逆になる。
- 転置を使うことで、内積を行列の積として表せる。
- 転置行列は、内積の中で行列の作用を移し替える役割を持つ。
- 転置しても変わらない正方行列を、対称行列と呼ぶ。
特に重要なのは、次の2つの関係です。
$$
(AB)^{\mathsf T}=B^{\mathsf T}A^{\mathsf T}
$$
$$
(A\boldsymbol{x})\cdot\boldsymbol{y}
=
\boldsymbol{x}\cdot(A^{\mathsf T}\boldsymbol{y})
$$
前者は行列の積と転置の関係を、後者は転置行列と内積の関係を表しています。
転置行列は、単に行と列を入れ替えるための操作ではありません。行列の掛け算や内積の構造を理解するための重要な道具なのです。
前回は、行列の掛け算が線形写像の合成に対応することを学びました。今回は、その行列の掛け算と転置がどのようにつながるのかを理解しました。
次回は、線形写像によってベクトルがどこへ移るのか、また、どのベクトルが零ベクトルへ移るのかを表す「像」と「核」について考えます。
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Part 3.線形写像と行列をまとめて理解する
Part 3では、線形写像を行列で表す仕組みから、行列の演算、像・核・ランク・次元定理までを学びます。線形写像と行列の関係を整理したい人は、次のまとめ記事をご覧ください。

関連書籍
転置行列の性質や、内積・対称行列との関係をさらに深く理解したい人には、線形代数を体系的に学べる書籍も参考になります。
特に、行列の計算だけでなく、線形写像や内積の意味を丁寧に説明している書籍を読むことで、転置行列がさまざまな場面で登場する理由を理解しやすくなります。



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