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伊坂幸太郎さんの小説『グラスホッパー』を読んだ。
妻を失い、復讐のために裏社会へ足を踏み入れた元教師の鈴木。そこに、蝉や鯨といった殺し屋たちの思惑が絡み合い、物語は思いがけない方向へ進んでいく。
この作品で特に面白いと思ったのは、裏社会に描かれる食物連鎖のような関係だ。強い者が弱い者を追い詰める一方で、その強者もまた別の存在や自分自身の恐怖に追い詰められている。
そして、この構図は、過密な環境で性質を変えるバッタを意味する『グラスホッパー』というタイトルとも重なって感じられた。
そんな理不尽な世界の中で、特に心に残ったのが鈴木の生き方だった。次々と予想外の出来事に巻き込まれながらも、流れに身を任せ、自分にできることを続けていく。
今回は、裏社会の食物連鎖とタイトルの意味、そして鈴木の姿から感じたことを中心に紹介したい。
※以下、ネタバレを含みます。物語の重要な展開や結末に触れているため、未読の方はご注意ください。
1.追い詰められた人間たちが、互いを傷つけ合う世界
『グラスホッパー』では、元教師の鈴木、若い殺し屋の蝉、そして人を死へと追い込む鯨という、まったく異なる3人の視点から物語が描かれる。
鈴木は、妻を奪われた復讐のために裏社会へ足を踏み入れた普通の人間だ。殺し屋たちと比べれば、圧倒的に弱い立場にいる。
一方、蝉は腕の立つ殺し屋で、鈴木にとっては恐ろしい存在だ。しかし、そんな蝉も自分の立場や存在価値に不安を抱えている。鯨もまた、人を追い詰める力を持ちながら、過去に関わった人々の幻影に苦しめられている。
この3人を見ていると、裏社会には食物連鎖のような関係があると感じる。
弱い者は強い者に追い詰められる。しかし、強い者も決して自由ではなく、別の存在や自分自身の恐怖に追い詰められている。
誰かを追い詰める側に立ったからといって、その人自身が追い詰められなくなるわけではない。
この不条理な関係を考えると、『グラスホッパー』というタイトルにも意味があるように思える。
バッタには、密集した環境で育つことで、行動や姿が変化する種類がいる。普段は単独で暮らしていても、過密な状態が続くと、群集相と呼ばれる状態へ変化する。
この現象を知ると、東京という過密な都市で追い詰められていく登場人物たちが、バッタの姿と重なって見えてくる。
鈴木は妻を失った悲しみと復讐への思いを抱え、蝉は自分の存在価値を求め、鯨は過去にとらわれている。3人の苦しみはそれぞれ異なるが、誰もが自分の置かれた状況から抜け出せずにいる。
もちろん、彼らが追い詰められた原因は、単に都市の過密さだけではない。
それでも、過酷な環境の中で人間が変わり、互いを傷つけ合うようになる姿は、群集相のバッタと重なるように感じた。
裏社会の食物連鎖と、群集相へ変わるバッタ。一見すると異なる二つの要素が、追い詰められた人間たちの姿を通して、一つにつながっているところが面白かった。
2.流れに身を任せながら、自分にできることを続ける鈴木
そんな世界の中で、特に心に残ったのが鈴木の姿だった。
鈴木は妻を失った復讐のために裏社会へ足を踏み入れるが、そこで待っていたのは、自分の思いどおりにはならない出来事の連続だった。
押し屋と呼ばれる人物を追うことになり、殺し屋たちの思惑に巻き込まれ、何度も危険な状況に追い込まれる。
それでも鈴木は、ただ立ち止まっているわけではない。
押し屋の家に家庭教師を装って入り込んだり、目の前の状況を何とか切り抜けようとしたり、そのとき自分にできることを続けていく。
もちろん、鈴木の行動がいつもうまくいくわけではない。騙されることもあれば、さらに厄介な状況へ巻き込まれることもある。
それでも、起きてしまった出来事を受け止めながら、次にできることを考えているように見えた。
私は、そんな鈴木の姿に惹かれた。
理不尽な出来事に遭遇したとき、何とか状況を変えようと必死にもがくことがある。しかし、自分の力ではどうにもならないこともある。
そんなとき、無理にすべてを変えようとするのではなく、流れに身を任せながら、自分にできることを一つずつ続けていく。それも一つの生き方なのではないかと思った。
流れに身を任せることは、何もしないことではない。
自分では変えられない状況を受け止めながらも、できることは諦めずに続ける。
鈴木の姿を見ていると、そんな生き方にも強さがあるように感じられた。
3.すべては鈴木の幻覚だったのか?
もう一つ、この作品で驚かされたのが、結末に用意された仕掛けだった。
物語の終盤、鈴木は通過する列車を眺めながら、その列車が妙に長いと感じる。
一見すると何でもない描写だが、作中ではそれ以前に、幻覚の兆候として、いつまでも通り過ぎない列車の話が登場している。
この二つの描写を結びつけると、それまで読んできた物語が本当に現実だったのか、疑問が生まれてくる。
もしかすると、鈴木が経験した出来事の一部、あるいは物語そのものが幻想だったのではないか。
もちろん、これだけですべてが幻覚だったと断定することはできない。しかし、物語の最後になって、それまで当然のように受け入れていた出来事の現実性が揺らぐところが面白い。
殺し屋たちの思惑が交錯する物語を楽しんでいたはずなのに、最後には、その物語をどこまで信じてよいのかわからなくなる。
結末を知ったあと、もう一度最初から読み返したくなる仕掛けだった。
まとめ|理不尽な世界で、どう生きるのか
『グラスホッパー』は、殺し屋たちの思惑が絡み合うミステリーとしての面白さだけでなく、人間が追い詰められたときにどう変わるのかを考えさせられる作品だった。
特に心に残ったのは、そんな理不尽な世界を生きる鈴木の姿だ。
思いどおりにならない出来事が続いても、流れに身を任せながら、自分にできることを続けていく。
すべてを自分の力で変えようとしなくてもいい。それでも、目の前のことに向き合うことはできる。
『グラスホッパー』を読んで、そんな生き方もあるのだと思えた。


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