単位行列とは何か?|何も変えない線形写像

数学

はじめに

前回は、標準基底ベクトルの回転先から回転行列の公式を導きました。回転行列は、ベクトルの長さを変えずに向きを変える線形写像を表していました。

では、ベクトルの長さも向きも変えない線形写像は、どのような行列で表されるのでしょうか。

実は、何も変えない線形写像も、行列で表すことができます。それが「単位行列」です。

たとえば、2次の単位行列は、

$$
I=
\begin{pmatrix}
1&0\\
0&1
\end{pmatrix}
$$

という形をしています。

なぜ対角成分が \(1\) で、それ以外が \(0\) なのでしょうか。また、この行列をベクトルに掛けても何も変わらないのはなぜでしょうか。

単位行列は、すべてのベクトルをそのままの位置に移す「恒等写像」を表す行列です。標準基底ベクトルを変えないため、各列には標準基底ベクトルがそのまま並びます。

この記事では、単位行列の形を基底ベクトルから導き、行列の掛け算における役割まで理解しましょう。

この記事でわかること

  • 単位行列が表す「何も変えない線形写像」の意味
  • 単位行列の対角成分が \(1\)、それ以外が \(0\) になる理由
  • 単位行列とベクトルの積が元のベクトルになる理由
  • 単位行列が行列の掛け算における「\(1\)」になる理由
  • 単位行列と逆行列の関係

1.何も変えない線形写像とは何か?

まず、平面上のベクトルを考えましょう。

前回学んだ回転行列は、ベクトルを原点の周りに回転させる線形写像でした。たとえば、反時計回りに \(90^\circ\) 回転させると、ベクトルの向きが変わります。

一方、すべてのベクトルを元のままにする変換も考えられます。この変換を \(T\) とすると、任意のベクトル \(\boldsymbol{x}\) に対して、

$$
T(\boldsymbol{x})=\boldsymbol{x}
$$

が成り立ちます。

このように、すべてのベクトルを自分自身に移す写像を恒等写像と呼びます。回転行列と恒等写像を比較すると、その違いがよくわかります。

回転行列と恒等写像の比較

左側では、回転行列によってベクトルの向きが変わっています。一方、右側では、恒等写像によってベクトルが元の位置にとどまっています。

このように、恒等写像はベクトルの長さも向きも変えず、すべてのベクトルをそのままにする変換です。

1.1.恒等写像も線形写像になる

恒等写像は、ベクトルを変えないだけでなく、線形写像の条件も満たします。

任意のベクトル \(\boldsymbol{u},\boldsymbol{v}\) に対して、

$$
\begin{aligned}{}
T(\boldsymbol{u}+\boldsymbol{v})
&=\boldsymbol{u}+\boldsymbol{v}\\
&=T(\boldsymbol{u})+T(\boldsymbol{v})
\end{aligned}
$$

が成り立ちます。また、任意のスカラー \(c\) に対しても、

$$
\begin{aligned}{}
T(c\boldsymbol{u})
&=c\boldsymbol{u}\\
&=cT(\boldsymbol{u})
\end{aligned}
$$

となります。

このように、恒等写像は加法性と斉次性を満たすため、線形写像です。つまり、何も変えないという操作も、線形写像として行列で表せるのです。

2.単位行列はなぜこの形になるのか?

では、恒等写像を表す行列を作ってみましょう。前回の回転行列では、標準基底ベクトルの変換先を列に並べることで、行列の形を導きました。今回も同じ考え方を使います。

2.1.標準基底ベクトルの変換先を考える

平面 \(\mathbb{R}^2\) の標準基底は、

$$
\boldsymbol{e}_1=
\begin{pmatrix}1\\0\end{pmatrix},
\quad
\boldsymbol{e}_2=
\begin{pmatrix}0\\1\end{pmatrix}
$$

です。

恒等写像は、どのベクトルも変えません。したがって、標準基底ベクトルについても、

$$
T(\boldsymbol{e}_1)=\boldsymbol{e}_1,
\quad
T(\boldsymbol{e}_2)=\boldsymbol{e}_2
$$

となります。図を見ると、2本の標準基底ベクトルが元の位置から動かないことがわかります。

標準基底ベクトルを変えない恒等写像

青いベクトルは第1の標準基底ベクトル \(\boldsymbol{e}_1\)、緑のベクトルは第2の標準基底ベクトル \(\boldsymbol{e}_2\) です。どちらも変換前と変換後が完全に一致しています。

この性質を使って、恒等写像を表す行列の形を導きましょう。

2.2.基底ベクトルを列に並べる

線形写像の表現行列は、基底ベクトルの変換先を列に並べることで作れます。

そのため、恒等写像の表現行列は、

$$
\begin{aligned}{}
I
&=
\begin{pmatrix}
T(\boldsymbol{e}_1)&T(\boldsymbol{e}_2)
\end{pmatrix}\\
&=
\begin{pmatrix}
\boldsymbol{e}_1&\boldsymbol{e}_2
\end{pmatrix}\\
&=
\begin{pmatrix}
1&0\\
0&1
\end{pmatrix}
\end{aligned}
$$

となります。これが2次の単位行列です。

対角成分が \(1\) になるのは、それぞれの標準基底ベクトルが元の方向にそのまま残るためです。一方、対角成分以外が \(0\) になるのは、別の基底ベクトルの方向への成分が生じないためです。

なお、恒等写像は標準基底以外の基底を使っても、表現行列が単位行列になります。どの基底ベクトルも自分自身に移るため、その基底で表した座標も変わらないからです。

単位行列の各列は、標準基底ベクトルそのものです。単位行列がこの形になるのは、恒等写像が基底ベクトルを変えないためです。

3.単位行列をベクトルに掛けるとどうなるのか?

では、単位行列を任意のベクトルに掛けてみましょう。

3.1.成分から確かめる

平面上のベクトルを、

$$
\boldsymbol{x}=
\begin{pmatrix}x\\y\end{pmatrix}
$$

とします。

2次の単位行列を掛けると、

$$
\begin{aligned}{}
I\boldsymbol{x}
&=
\begin{pmatrix}
1&0\\
0&1
\end{pmatrix}
\begin{pmatrix}x\\y\end{pmatrix}\\
&=
\begin{pmatrix}
1\cdot x+0\cdot y\\
0\cdot x+1\cdot y
\end{pmatrix}\\
&=
\begin{pmatrix}x\\y\end{pmatrix}\\
&=\boldsymbol{x}
\end{aligned}
$$

となります。つまり、単位行列を掛けても、ベクトルの成分は変わりません。

3.2.線形結合から理解する

この結果は、行列とベクトルの積を「列ベクトルの線形結合」として考えても理解できます。

ベクトル \(\boldsymbol{x}\) は、

$$
\boldsymbol{x}=x\boldsymbol{e}_1+y\boldsymbol{e}_2
$$

と表せます。

単位行列の第1列は \(\boldsymbol{e}_1\)、第2列は \(\boldsymbol{e}_2\) なので、

$$
\begin{aligned}{}
I\boldsymbol{x}
&=x\boldsymbol{e}_1+y\boldsymbol{e}_2\\
&=\boldsymbol{x}
\end{aligned}
$$

となります。

これは、単位行列が標準基底ベクトルを変えないことから、任意のベクトルも変えないことを示しています。つまり、単位行列とベクトルの積は、元の基底ベクトルを使って同じ線形結合を作り直しているのです。

4.単位行列は行列の掛け算における「\(1\)」になる

ここまでは、単位行列とベクトルの積を考えてきました。では、単位行列と別の行列を掛けると、どうなるのでしょうか。

4.1.数の掛け算と比較する

普通の数の掛け算では、どの数に \(1\) を掛けても値は変わりません。つまり、\(1\cdot a=a\cdot1=a\) が成り立ちます。

行列の掛け算でも、単位行列はこれと同じ役割を持ちます。

たとえば、2次の正方行列

$$
A=
\begin{pmatrix}
a&b\\
c&d
\end{pmatrix}
$$

に対して、2次の単位行列 \(I_2\) を使うと、

$$
I_2A=AI_2=A
$$

が成り立ちます。

この性質は、正方行列だけでなく、長方形の行列でも成り立ちます。

一般に、\(A\) が \(m\times n\) 行列の場合、\(m\) 次の単位行列 \(I_m\) と \(n\) 次の単位行列 \(I_n\) を使うと、

$$
I_mA=AI_n=A
$$

となります。

左から掛ける単位行列と右から掛ける単位行列では、大きさが異なる場合があります。しかし、どちらも行列 \(A\) を変えないという役割は同じです。

実際に、先ほどの2次の正方行列 \(A\) に左から単位行列 \(I_2\) を掛けると、

$$
\begin{aligned}{}
I_2A
&=
\begin{pmatrix}
1&0\\
0&1
\end{pmatrix}
\begin{pmatrix}
a&b\\
c&d
\end{pmatrix}\\
&=
\begin{pmatrix}
a&b\\
c&d
\end{pmatrix}
=A
\end{aligned}
$$

となります。右から掛けても同様に \(AI_2=A\) です。

このように、掛けても相手を変えない要素を、掛け算における単位元と呼びます。

4.2.線形写像の合成から考える

なぜ単位行列を掛けても、行列が変わらないのでしょうか。ここでも、行列を線形写像として考えると意味が見えてきます。

行列 \(A\) が表す線形写像を \(T\)、単位行列 \(I\) が表す恒等写像を \(E\) とします。

まず、ベクトルに \(T\) を適用してから \(E\) を適用しても、結果は変わりません。

$$
E(T(\boldsymbol{x}))=T(\boldsymbol{x})
$$

反対に、先に \(E\) を適用してから \(T\) を適用しても、同じ結果になります。

$$
T(E(\boldsymbol{x}))=T(\boldsymbol{x})
$$

したがって、恒等写像を合成しても、元の線形写像は変わりません。行列の掛け算は線形写像の合成を表すため、この関係が \(I_mA=AI_n=A\) という形で現れるのです。ここで、\(A\) は \(m\times n\) 行列です。

行列の掛け算と線形写像の合成の関係については、次回の記事で詳しく説明します。

単位行列は、行列の掛け算における「\(1\)」の役割を持ちます。左から掛けても右から掛けても、元の行列は変わりません。

5.単位行列にはどのような性質があるのか?

最後に、単位行列の形と重要な性質を整理しましょう。

5.1.単位行列は次元に応じて大きさが変わる

これまでは2次元のベクトルを考えてきましたが、単位行列は3次元以上でも定義できます。

たとえば、3次の単位行列は、

$$
I_3=
\begin{pmatrix}
1&0&0\\
0&1&0\\
0&0&1
\end{pmatrix}
$$

です。

一般に、\(n\) 次の単位行列 \(I_n\) は、対角成分がすべて \(1\)、それ以外がすべて \(0\) の \(n\times n\) 行列です。

成分を使うと、

$$
(I_n)_{ij}=
\begin{cases}
1&(i=j)\\
0&(i\ne j)
\end{cases}
$$

と表せます。

\(n\) 次元の任意のベクトル \(\boldsymbol{x}\) に対して、

$$
I_n\boldsymbol{x}=\boldsymbol{x}
$$

が成り立ちます。

なお、単位行列の大きさが文脈から明らかな場合は、添字を省略して \(I\) と書くこともあります。

5.2.単位行列は逆行列と深く関係する

単位行列は、逆行列を考えるときにも重要です。

正方行列 \(A\) に対して、ある行列 \(B\) が存在し、

$$
AB=BA=I
$$

を満たすとき、\(B\) を \(A\) の逆行列と呼び、\(A^{-1}\) と表します。つまり、逆行列とは、元の行列と掛けると単位行列になる行列です。

これは、ある線形変換を行った後に逆変換を行うと、元のベクトルに戻ることを表しています。

前回の回転行列でも、

$$
R(-\theta)R(\theta)=I
$$

という関係が登場しました。角度 \(\theta\) だけ回転させた後に、反対方向へ同じ角度だけ回転させると、何も変換しなかった状態に戻ります。

この「元に戻る」という関係を表すのが、単位行列なのです。

なお、すべての正方行列に逆行列が存在するわけではありません。逆行列が存在する条件については、逆行列を扱う記事で詳しく説明します。

まとめ

今回は、単位行列を「何も変えない線形写像」という観点から考えました。

重要なポイントを整理します。

  • すべてのベクトルを自分自身に移す写像を、恒等写像と呼ぶ。
  • 恒等写像は線形写像であり、単位行列で表せる。
  • 単位行列の各列には、標準基底ベクトルがそのまま並ぶ。
  • 単位行列をベクトルに掛けても、元のベクトルは変わらない。
  • 単位行列は行列の掛け算における単位元であり、左から掛けても右から掛けても行列は変わらない。
  • 逆行列との積が単位行列になることは、変換を元に戻すことに対応する。

今回、最も重要なのは次の関係です。

$$
I_n\boldsymbol{x}=\boldsymbol{x}
$$

また、\(A\) が \(m\times n\) 行列の場合、適切な大きさの単位行列を使えば、

$$
I_mA=AI_n=A
$$

が成り立ちます。

単位行列は、何も変えない恒等写像を表す行列です。単位行列が重要なのは、行列を単なる数字の表ではなく、線形写像として理解するときの基準になるためです。

前回は、回転行列によってベクトルの向きを変える方法を学びました。今回は、何も変えない変換も行列で表せることを確認しました。

次回は、複数の線形写像を組み合わせるとき、なぜ行列の掛け算があの計算になるのかを考えます。

関連記事

▶ 前回:回転行列はなぜこの形になるのか?|基底ベクトルの回転から公式を導く
回転行列はなぜこの形になるのか?|基底ベクトルの回転から公式を導く
回転行列はなぜこの形になるのか?2本の標準基底ベクトルの回転先から公式を導出。図と具体例を使って、マイナスが付く理由や、回転行列が長さ・角度を保つ仕組みをわかりやすく解説します。
▶ 次回:行列の掛け算はなぜこの計算になるのか?|線形写像の合成から理解する
行列の掛け算はなぜこの計算になるのか?|線形写像の合成から理解する
行列の掛け算はなぜ行と列を使って計算するのでしょうか?線形写像の合成から行列の積を導き、列ベクトルの線形結合や行と列の内積との関係を図と具体例で解説します。掛ける順番が重要になる理由や結合法則も理解できます。

Part 3.線形写像と行列をまとめて理解する

Part 3では、線形写像を行列で表す仕組みから、行列の演算、像・核・ランク・次元定理までを学びます。線形写像と行列の関係を整理したい人は、次のまとめ記事をご覧ください。

▶ 線形写像と行列の全体像をまとめて理解したい
線形写像と行列の全体像|像・核・ランクから行列の意味を理解する
線形写像と行列の関係を図でわかりやすく解説。基底ベクトルの変換から行列の掛け算、像・核・ランク・次元定理までを整理し、行列が表す意味と線形代数の各概念のつながりを理解します。

関連書籍

単位行列や線形写像の意味をさらに深く理解したい人には、線形代数を体系的に学べる書籍も参考になります。

特に、行列を線形写像として捉え、基底ベクトルの変換先や行列の掛け算と関連づけて学ぶことで、単位行列の役割をより深く理解できるようになります。

理工学の基礎「線形代数」に心震える | 佐藤 敏明 |本 | 通販 | Amazon
Amazonで佐藤 敏明の理工学の基礎「線形代数」に心震える。アマゾンならポイント還元本が多数。佐藤 敏明作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。また理工学の基礎「線形代数」に心震えるもアマゾン配送商品なら通常配送無料。
キーポイント線形代数 (理工系数学のキーポイント 2) | 薩摩 順吉, 四ツ谷 晶二 |本 | 通販 | Amazon
Amazonで薩摩 順吉, 四ツ谷 晶二のキーポイント線形代数 (理工系数学のキーポイント 2)。アマゾンならポイント還元本が多数。薩摩 順吉, 四ツ谷 晶二作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。またキーポイント線形代数 (理工系数...
プログラミングのための線形代数 | 平岡 和幸, 堀 玄 |本 | 通販 | Amazon
Amazonで平岡 和幸, 堀 玄のプログラミングのための線形代数。アマゾンならポイント還元本が多数。平岡 和幸, 堀 玄作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。またプログラミングのための線形代数もアマゾン配送商品なら通常配送無料。
数学
スポンサーリンク
toshi

京都市在住のエンジニア。読書好きが高じてブログを始め、現在は数学やAI・ソフトウェアを中心に、おすすめの小説についても記事を書いています。

toshiをフォローする
シェアする
toshiをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました