「あ!そういえば最近」
この何気ない一言から始まる本作は、「人が人を語ること」そのものを描いた、静かで鋭い小説です。
突如連絡が取れなくなった作家・谷川治と、その妻・愛里須。二人をめぐる出来事は、編集者、友人、町の人々、書店員……多くの視点から語られていきます。
しかし、その語りは決して「真実」を指し示すものではありません。むしろ浮かび上がるのは、人は他人のことを驚くほど分かっていないという事実です。
誰もが、自分なりの物語を作っている
本作で心に残るのは、
人間の脳は、記憶を正確なデータとして保存する装置ではない。見聞きした事実を解釈し、補完する。それを思い起こす際に、記憶の再構築がなされる。その過程で辻褄を合わせ、意味を持たせ、全体の構成を整える。それは物語る行為そのものだ。
という一節です。
人は、見たこと・聞いたことをそのまま保存しているわけではありません。自分の価値観や願望、倫理観というフィルターを通して、都合よく編集し、「物語」にして記憶しています。
つまり——誰もが無意識のうちに、物語を紡ぎながら生きています。
谷川治の失踪をめぐって語られる無数の証言は、そのことをこれでもかと突きつけてきます。点で見た出来事、線でつないだ関係、面として捉えた人生。どれも間違いではないけれど、どれも全体ではない。
読者である私たち自身もまた、「この人はこういう人だろう」と、勝手に物語ってはいないか——そんな問いを、静かに投げかけられます。
小説を書くという行為は、人を傷つける
本作は同時に、小説を書くことの残酷さにも踏み込みます。
モデルがいる物語。私小説に近い創作。善意で書いたつもりの一文が、誰かを深く傷つけてしまうこと。
由良子の「あなたの小説を読むと、いつも傷つく」という言葉は、非常に重く響きます。
書く側も、読む側も、例外なく傷つく。小説とは、そういう暴力性をはらんだ表現なのだと、本作は正面から描いています。
「作家は幸せになると書けないんだよ」というフレーズにドキリとした人も多いでしょう。書くことでしか自分を保てない。書かないと、自分が空っぽになってしまう。
その切実さが、ひりひりと伝わってきます。
それでも物語を書くのは、自分を否定しないため
では、なぜそれでも書くのか。答えはとてもシンプルで、そして痛切です。
「自分を否定しないため」
今まで書いてきたものを、全部間違いだったと切り捨ててしまったら、自分の人生そのものが否定されてしまう。
だから、傷つくと分かっていても、誰かを傷つけてしまうかもしれないと分かっていても、それでも物語を書く。
今まで自分が書いてきたものを否定していた。そんなのだめでしょ?ぜったいにだめだよ。
この言葉は、作中の登場人物だけでなく、読者一人ひとりの胸にも、そっと置かれるように感じます。
読後に残る、言葉にしづらい余韻
読み終えたとき、すっきりした結末だと感じる人もいるでしょう。けれどそれは、爽快感とは少し違います。
説明しきれない、でも確かに残る感触。「ああ、人ってこういうふうに生きてるよな」と、自分の日常を振り返ってしまうような読後感。
この小説は、派手などんでん返しはありません。けれど、作家の心の内側に肉薄するような誠実さがあります。
まとめ:いつの間にか自分の物語を読まされている
『そういえば最近』は、他人の物語を読んでいるようで、いつの間にか自分の物語を読まされている一冊です。
読み終えたあと、きっとあなたも、誰かのことを、そして自分自身のことを、少しだけ違う目で見つめ直しているはずです。
ぜひ、手に取ってみてください。


コメント