なぜ、エンターテイメントのための読書に価値がないのか

ライフハック

 この前のエントリで「読書は多読よりも一行でも線を引いて実践した人の勝ち」という趣旨の内容を書いたところ、エンターテイメントのための読書ではダメなのか?とコメントをいただきました。

 このコメントに回答するには、エンターテイメントのための読書がどんなものなのかを定義する必要がありますよね。

 また、私が読書をする理由もあわせて書く必要があると思います。




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 君たちはどう生きるか

 2年ほど前、『漫画 君たちはどう生きるか』がベストセラーになりました。

 80年以上前に書かれた小説を漫画化したものですが、ここには「なぜ勉強するのか」「何のために仕事をするのか」「どう生きるつもりなのか」という根源的な問いが書かれています。

 では、なぜこの漫画がベストセラーになったのでしょうか。

 もちろん、いくつか要因はあるでしょうが、私は多くの人が自分の人生に疑問を持っているからだと思います。このままの生き方で大丈夫かな…という漠然とした不安があるからだと思います。

 ところが、「内容が薄っぺらい」とか、「大人には当たり前のことが書かれている」なんて、上から目線のレビューが散見されるんですよね。

 そんなレビューを書いた人こそ、この本を読んだ価値がない、ただ時間を消費しているだけのエンターテイメントのための読書をしています。

 「知っている」と「行動出来る」の間にある溝

 そもそも、タイトルをみれば教訓めいたことが書かれているのは一目瞭然です。それなのに「教訓めいている」と上から目線でレビューするのはバカみたいですよね。

 さらに言えば、「この本に書いてあることは大人になれば誰もが知っている」「内容が薄い」とレビューしている人もバカだと思います。

 この本に書かれている内容を実践していれば、そもそも自己啓発系の本を読む必要がありません。本を読まなくても充実した人生が過ごせているはずです。

 それなのに、この本を読んで上から目線でレビューを書くのは、「知識として知っている」だけで「行動する」ことが出来ていないからですよね。

 そのことに気づかなければ、どれだけ読書を重ねても消費しているだけです。何も生み出せません。

 なぜ、私は読書をするのか

 私はこの二つの溝を乗り越えるために読書をしています。

 先ほど、「大人だったら誰でも知っている」というレビューを取り上げましたが、そんなことは著者だってわかっているはずです。

 しかし、私たちは同じ話を何度聞いても変われません。だからこそ似たような話を何度も聞くしかないんです。そうして行動を少しずつ変えていくしかないんです。

 こう考えると、これまで私がやってきた「本のサマリーを書いて行動しない」というのは、「上から目線のレビューを書いている」のと大差ありませんよね。

 だからこそ、私は自分を主として、本を従とした読み方に変えようと思い、この前のエントリを書きました。

 上から目線で語ったり、著者の意見に頷くだけのエンターテイメントのための読書はやめ、自分が学んだこと、それを実践した結果をアウトプットする読書に切り替えたんですよね。

 …と、前回のエントリの補足的な内容を書きましたが、伝わったでしょうか。

 ちなみに、エンターテイメントのための読書をする人を否定するつもりはありません。むしろ、楽しそうでいいなとさえ思います。

 ただし、すでに多くの時間をゲームというエンターテイメントに捧げてきた私には時間がないんですよ。残りの人生で夢中になることを見つけて、やりきるにはエンターテイメントを消費するだけの時間がないんですよ。

 そんな私のように生き急いでいる人にオススメの本がこちら。

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