目に見えるものがすべてだと思っていませんか?
私は、目に見えない世界、想像が及ばない世界もあると考えていますが、
夏川草介さんの小説『始まりの木』を読んで、改めて目に見えない世界に思いを馳せる想像力が必要だと痛感しました。
そうした想像力がなければ、金と力がすべてになり、息苦しくなるんですよね。
おすすめ度:
こんな人におすすめ
- 変わり者の先生と旅をする大学院生の物語を読んでみたい人
- 自分の目で確かめるのが研究者だとわかる物語に興味がある人
- 金と力がすべての社会はいずれ亡びることがわかる物語を読んでみたい人
- 夏川草介さんの小説が好きな人
あらすじ:変わり者の先生と旅をする大学院生の物語
物語の主人公は、東京都心にある国立東々大学で民俗学を専攻する藤崎千佳。
就職には有利といえない進学にもかかわらず、彼女が大学院に進学したのは、
高校生の頃に柳田國男の『遠野物語』を読んで、なにか忘れていた記憶が呼び覚まされるような不思議な感覚になって感動したのと、
偏屈な民俗学者である古屋神寺郎と旅をするのを気に入っていたからでした。
今回、彼らがやってきたのは、青森県弘前市にある嶽温泉。
古屋はこれまで旅をするときは、「藤崎、旅の準備をしたまえ」と命令してきましたが、今回は「ついて来るかね?」と尋ねてきました。
その理由は…。という物語が楽しめる小説です。
感想①:どう生きるべきか?と疑問が投げかけられる5つの短編集
この小説では、あらすじで紹介した物語を含めて、5つの短編が楽しめます。
どれも偏屈な古屋神寺郎と旅をする千佳の物語が楽しめるんですよね。
それぞれ簡単に紹介していくと、
- 京都の岩倉で偶然出会った松葉杖をつく青年を鞍馬まで送っていく物語
- 長野県の伊那谷で古屋が民俗学を学ぶキッカケになった始まりの木を見にいく物語
- 高知県にある延光寺で古屋が車を横付けして騒いでいる若者に殴られる物語
- 東京都文京区にある東々大学の近所にあるお寺に頻繁に桜を眺めにいく物語
どれも旅そのものを目的として描かれておらず、民俗学を通してどう生きるべきか?という問いが投げかけられます。
林真理子さんの小説『最高のオバハン 中島ハルコの恋愛相談室』では、さまざまな場所で人と出会い、彼らが抱える悩みを解決していく主人公の物語が描かれていましたが、

この小説では、古屋と千佳が旅先で民俗学を通してこれからどう生きるべきか?を対話する物語が楽しめました。
感想②:自分の目で確かめるのが研究者
先ほどから古屋神寺郎は偏屈な人物だと紹介してきましたが、
それは、相手の立場やプライドといったものに対して、まったく配慮を欠く発言をしていたからです。
たとえば、嫌味を言ってくる教授に対しては、どちらさまですか?などと返答して相手にしませんでした。
しかし、性格はどうあれ、古屋は口先だけの学者ではありませんでした。
ある出来事が原因で、左足を怪我していましたが、必要とあれば日本中どこにでも出かけていく、歩く学者でした。
なぜなら、大局的な使命感を持たねば堕落すると考えていたからです。
一歩も研究室から動かず、卓上の資料を科学や統計学の刃でもって裁断し、都合のいいように解釈して、先人たちを超えた気になれば、学問の衰退もここに極まると考えていたのです。
そのため、権威を持って相手を貶め、嘲弄することで自分を高めようとする人間は、
研究者ではなく、自分のテリトリーを主張するために奇声を上げて他者を威圧しているゴリラやサルと何ら変わらないと考えていたんですよね。
三浦しをんさんの小説『愛なき世界』でも、研究者として真剣に研鑽する登場人物の姿に心動かされましたが、

この小説でも、研究者のあるべき姿が描かれていたので、仕事に取り組む姿勢について改めて考えさせられました。
感想③:金と力がすべての社会はいずれ亡びる
さて、この小説では、「金と力がすべての社会はいずれ亡びる」をテーマに描かれているように思います。
高知県にある延光寺で古屋が車を横付けして騒いでいる若者に殴られる物語では、
門前で騒ごうが、ひ弱な障碍者を突き飛ばそうが、良心の呵責を感じない若者の姿が描かれています。
彼らは頭が悪いのではなく、ただ判断基準を持っていないだけです。
なぜ弱い者を痛めつけてはいけないのかと、考えるきっかけもなければ、教えてくれる人にも出会わなかったのです。
そうした社会で幅を利かせてくるのは金力と腕力ということになります。
しかし、金と力だけが頼りになれば、生きていくのが息苦しくなります。誰もが年をとるにつれて両方失っていくからです。
そもそも、世の中には目に見えないものがある、理屈の通らない出来事がある、どうしようもなく不思議な偶然がある、と感じることができれば、自分の生きている世界に対して尊敬や畏怖や感謝の念が持てます。
しかし、目に映ることだけが全てだと考えるようになれば、世界はとてもシンプルで、即物的です。
そういう世界だと、自分より力の弱い者を倒すことは、論理に反するどころか、とても理にかなった生き方です。
つまり勝てばいいのですから。
岡潔さんの『数学する人生』の感想でも、目に見えるものを中心に置いた結果、多くの日本人が幸せを感じられなくなったと書きましたが、

この小説を読んで、改めて、目に見えない世界を受け入れないと、その社会は間違いなく亡びることがわかりました。
まとめ
今回は、夏川草介さんの小説『始まりの木』のあらすじと感想を紹介してきました。
目に見えるものだけがすべてだと世界を単純に捉えてしまうと、その社会は亡びることがわかる物語なので、気になった方はぜひ読んでみてください。
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