積極的な安楽死を認めるべきか?/南杏子『いのちの停車場』感想

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積極的な安楽死についてどう思いますか?

私は以前から認めるべきだと思っていましたが、南杏子さんの小説『いのちの停車場』を読んで、その思いがさらに強くなりました。

未来がないのに、ひたすら苦しんで最後を迎えるのは嫌だと心の底から思ったからです。

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『いのちの停車場』のおすすめポイントとあらすじ

おすすめ度:4.5

  • 救急医療よりも過酷な訪問医療の実態に衝撃を受ける
  • 人生の最後をどう過ごしたいか?を考えるきっかけになる
  • 積極的な安楽死を認めてほしくなる
あらすじ
62歳の白石咲和子さわこは、東京にある城北医科大学の救急センターで副センター長をしていましたが、多くの医師が出払っているときに、大規模な交通事故が起き、事務員が資格もないのに点滴をしたため、その責任を取らされて退職に追い込まれました。その後、金沢に帰省することにした咲和子は、帰省後すぐに、実家の近くにある「まほろば診療所」から、訪問診療を手伝って欲しいと依頼されます。救急医療よりは楽だろうと思って引き受けた咲和子でしたが…。

『いのちの停車場』の感想

日本は少子高齢化が進んでいるため、人生最後の日まで病院で治療を受けるのが難しくなってきています。

だからこそ、多くの人が自宅で最後を迎える必要があるのですが、在宅医療には課題が山積みでした。

たとえば、妻がパーキンソン病になった高齢の夫は、ケチだったので、胃瘻いろうのチューブにカビが生えて黒ずんでいても、交換したくないと言い張ります。

それだけでなく、お金がかかるので妻に早く死んで欲しいとさえ言い出しました。

他にも、ゴミ屋敷のような家に住んでいる女性や、ほとんど視力を失った一人暮らしの男性、同居している娘夫婦と一切口を聞かずに生活する女性など、診療以前の問題が山積みでした。

そもそも、病院に来る患者は、多少お金がかかっても、治療することを望んでいます。

しかし、在宅医療の現場では、治療しないこと、場合によっては死なせて欲しいとさえ望む患者がいました。

なぜなら、在宅医療を受ける患者の多くは、完治する見込みがない病を抱えているからです。

そのため、在宅医療の基本は、死に至るまで生活の質を維持し、快適に過ごせるようにする緩和治療になりますが、病状によっては、現代の医学ではどうしようもない痛みや苦しみを抱える患者がいました。

『いのちの停車場』の主人公・咲和子の父も、脳卒中後疼痛とうつうに苦しみ、咲和子に安楽死させてほしいと迫りました。

しかし、鎮静薬を打つなどの積極的な安楽死は、殺人や自殺幇助として扱われます。

とはいえ、絶対に助かる見込みがない状況で、非常に苦しい時間が続くことが確定している患者にとっては、死そのものが希望です。

このように、『いのちの停車場』では医師である咲和子が究極の選択を迫られましたが、少子高齢化が進む日本では、決して他人事ではありません。

私は積極的な安楽死を認めるべきだと考えていますが、興味を持たれた方は、ぜひ実際に読んで、この問題と向き合ってみてください。

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