「光が多いところでは、影も強くなる」とゲーテが言ったように、光あるところには必ず影が存在します。
しかし、私たちは光だけを追い求めて、影の存在を否定しがちですよね。
たとえば、宝くじを買ったり、株やFXで金儲けをしようとするのもそのひとつでしょう。お金儲けをしたいという結果(=光)だけが欲しくて、そのための努力(=影)はしたくありません。
プロセスがどうあれ、結果さえよければ幸せになれると思っているんですよね。
ところが、百田尚樹さんの小説『影法師』を読んで、光だけを手に入れるのは不可能なことに気づきました。なぜなら…。
幼い頃から理不尽な目にあう主人公の物語
では、あらすじから。
物語の舞台は江戸時代の小さな藩・茅島藩。ここで下級武士(下士)として生まれた戸田勘一は、下士というだけで理不尽な目にあってきました。
たとえば、下士は上士と出会ったときには、必ず道に跪いて頭を下げる必要がありました。どれだけ新しい着物を着ていようが、道に跪く必要があったのです。
ところがある日。勘一の妹が新しい着物を着ており、しかも道が雨でぬかるんでいたので、跪くのを嫌がりました。
そこで、勘一の父が機転をきかせて手ぬぐいを地面に敷いて頭を下げるように促したところ…。上士が因縁をつけてきたのです。
さらに、このことに腹を立てた勘一の態度が気に入らないと言って、勘一を斬り殺そうとします。このとき、父が逆に彼らを斬り捨てました。
しかし、その後。この責任を取らされて父が殺されます。
つまり、上士は何をしても許され、下士は何があっても我慢するのが当たり前の世の中だったのです。
勘一はこんな理不尽な世の中を変えたいと願い、必死になって剣の修行と学問に励みました。そのおかげで、チャンスが巡ってきます
そのチャンスとは…。
唯一無二の親友・磯貝彦四郎と出会う
下士には通うことができなかった藩校に特別入学を許されたのです。
ところが、上士たちは徹底的に勘一をいじめました。「下士の分際で生意気だ」と集団で嫌がらせをしたのです。
そんな勘一に唯一優しい声をかけくれたのが磯貝彦四郎でした。
彦四郎は、文武両道の天才でした。学問も剣術もすぐに上達しますが、まったく偉そうにしません。
勘一はそんな彦四郎に尊敬の念をもって接するようになります。唯一無二の親友として付き合うようになるんですよね。
ところが、百姓一揆の首謀者とその家族が公開処刑された事件をきっかけに彦四郎は変わってしまいました。信じられない事件を起こして脱藩したのです。
一方の勘一は、この事件をきっかけに大干潟の開拓を実現したいという夢を描くようになりました。
大坊潟(海水が混ざった湖)を開拓し、田んぼに変えることができれば、一揆を起こす必要がなくなり、百姓たちも殺されずにすむからです。
その後、勘一は大干潟開拓の夢を実現しますが…。
光あるところには必ず影が存在する
実は、勘一の夢を実現するために、彦四郎が裏で行動していたことがわかります。彼が脱藩したのも、勘一の手助けをするためでした。
ところが、勘一はそのことにまったく気づきませんでした。それどころか、自分の力だけで大干潟開拓を成し遂げたと慢心していたんですよね。
しかし、この事実に気づいたときには…。
この続きは実際に本書を読んでもらうとして、百田尚樹さんの小説『影法師』は、光あるところには必ず影が存在することがわかる物語です。
それだけでなく、時代小説としても、勘一と彦四郎の友情物語としても楽しめるので、気になった方は、ぜひ読んでみてください。
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