子どもを「聞き分けのいい子」に育てようとしていませんか?
私もそう思っていた時期がありますが、『子どもはみんな問題児。』を読んで、もっと自由に育てようと思いました。
子どもの自主性を育てるには、親が先回りして手出し、口出しするよりも、子どもが自分で体験して学ぶことが大切だとわかったんですよね。
学習途中の子どもは誰でも問題児に見える
まず、ここでいう問題児とは、自分や周りの人たちを傷つける行為をする子のことではありません。
病気や怪我につながる行為や、他人を傷つけるような行為をしたときは、説明するよりも叩いて教えるのが先の場合もあります。
※ただし、本気で叩くのではなく、声を厳しくして、軽く触る程度に叩くこと。そうすれば子どもを傷つけずに大きな効果が得られます。
では、ここでいう問題児とは、どのような子どもなのでしょうか。
それは、親の言うことを聞かずに自分勝手に行動する子のことです。
大人しくしなさいと言っても、泥まみれになって遊んだり、平気で嘘をついたり、勉強しなかったり、本を読まなかったりする子のことです。
そんな子どもの姿を見ると、どうしても私たち親はコントロールしたくなりますが、グッと我慢して子どもの行動を見守る必要があるんですよね。
なぜなら、子どもは問題児に見える行動を通して、さまざまなことを学んでいるからです。
たとえば、意地悪をして、皆から嫌われれば、意地悪をするよりも、親切にする方が気持ちがいいことに気づきます。
ところが、子どもがそうした学習をする前に親が怒ってしまうと、怒られるのが嫌で、意地悪をするのをやめてしまいます。
「なぜ意地悪をしてはダメなのか?」がよくわからないまま、ロボットのように親の言うことに従ってしまうのです。
これでは考える力が育ちません。
また、怒られなければ、意地悪をしてもいいと学習する子もいるでしょう。
つまり、子どもが問題児に見えるのは、学習途中だからであって、ある意味では問題児に見える方が子どもらしいとも言えます。
もちろん、教えることも必要ですが、必要以上に手出し、口出ししたり、怒ったりすることは、子どもの学習機会を奪うことになりかねません。
嘘やケンカからも学べることはある
たとえば、バレエを習いたいと思っていた子どもが、習ってもいないのにバレエを習ったと嘘の話をはじめたらどうしますか?
本当はピアノを習っているのに、白鳥の衣装に着替えて、トウシューズで躍ったと嘘を言ったらどうすべきでしょうか。
実は、周りの大人たちは、こういった悪意のない嘘には付き合ってあげる必要があります。
しばらく放っておけば、興味が他に移っていくというのもありますが、想像力を鍛えるきっかけにもなるからです。
子どもの嘘は創意の所産だと民俗学者の柳田国男さんも言われています。
小説や漫画もある意味では嘘の物語(フィクション)ですよね。
頭のなかで創り上げた虚構の世界を言葉として表現することは、想像力を鍛える訓練になります。
ケンカをするのもそうです。
一方的に暴力を振るうのは論外ですが、それぞれが自分の言い分を相手にぶつける行為自体は、自分と他人は違う考えを持っていることを認識するために必要なプロセスです。
相手を深く知るきっかけにもなります。
そのため、こうした問題に見える行動を親がどう受け止めるかによって、子どもの将来が大きく変わるんですよね。
子どもの成長に応じた要求は素直に受け入れよう
子育てには「抱いて」「降ろして」「ほっといて」の三段階あります。
「抱いて」は幼児期で、ちょうど保育園、幼稚園に通っている年頃まで。
子どもが成長して、「降ろして」といえば降さなくてはいけません。
さらに、「ほっといて」といえば見て見ぬふりをしなければいけません。
手出し、口出しをしたいのをグッとこらえるのです。
とはいえ、子どもの「抱いて」には喜んで対応しても、「降ろして」「ほっといて」には顔をしかめる人も多いと思います。
しかし、こうした子どもの成長に応じた要求(問題児に見える要求)を受け入れなければ、子どもはいつまで経っても自分らしく生きられません。
繰り返しになりますが、親にコントロールされて育つと、自分の頭で考えて行動できなくなるからです。
だからこそ、『世界標準の子育て』にも書かれているように、手出し、口出しを控えて見守ることが大切なんですよね。
私たち親は、子どもの自主性を育てるためにも、親の言うことを聞く「聞き分けのいい子」に育てようとするのではなく、「問題児」に育てるくらいの度量が必要なのです。
まとめ
今回は、『子どもはみんな問題児。』を参考に、子どもの自主性を育てるには、親が先回りして手出し、口出しするよりも、子どもが自分で体験して学ぶことが大切だと紹介してきました。
子どもが自分のアタマで考えて行動しない…と悩んでいる方は、ぜひ見守る子育てをお試しください。
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