生き方に正解があると思っていませんか?
私は正解なんてないと思っているので、まわりを気にせずに自分らしく生きているつもりですが、
寺地はるなさんの小説『わたしの良い子』を読んで、改めて生き方に正解なんてないことがわかりました。
それだけでなく、ダメな自分を受け入れて前を向いて行動すれば、人生は何度でもやり直せることがわかる物語でもあったんですよね。
おすすめ度:
こんな人におすすめ
- 普通とは違う生き方をする主人公の物語が好きな人
- 人生は何度でもやり直せると思える物語を読んでみたい人
- 生き方に正解なんてないことがわかる物語に興味がある人
- 寺地はるなさんの小説が好きな人
あらすじ:妹の子供を育てることになった主人公の物語
物語の主人公は、文房具メーカーで経理の仕事をしている小山椿。
彼女は妹である鈴菜の息子・朔と二人で暮らしていました。
母が亡くなり、鈴菜が整形手術で得たパッチリと大きな二重の目で椿と父を見つめながら「子供を産む」と宣言したことがはじまりです。
このとき、母を亡くして虚無と孤独を感じていた父は、鈴菜が家に戻ってきたことで「孫のために働かないと」と張り切りましたが、
やがて鈴菜が沖縄料理店で働くようになり、ひとりで孫の面倒を見るようになったので、疲労で倒れてしまいます。
そこで、椿が手伝うようになったわけですが、しばらくすると鈴菜は男と一緒に沖縄で暮らすといって朔を置いて家を出て行きました。
こうして椿は朔と二人で暮らすことになったわけですが…。という物語が楽しめる小説です。
感想①:他人の生き方に余計な口出しをする人たちがいる
あらすじでも紹介しましたが、椿は妹の息子・朔と一緒に暮らしていました。
しかも、椿は自ら進んで子育てに励んでいました。
保育園や小学校でイベントがあると会社を休んで参加します。
また、恋人が結婚したいと伝えてきても、朔がいるからと先延ばしにしていました。
仕方なく面倒をみていたわけではなく、主体的に子育てをしていたんですよね。
とはいえ、椿が朔を預かると決めたとき、多くの人たちは「なんで?」と尋ねてきました。
鈴菜が死んだからとか、病気などのやむを得ない事情があるからとか、椿に子供を産めない身体的な事情があるからとか、納得できる物語を求められました。
凪良ゆうさんの小説『わたしの美しい庭』でも、血のつながりのない男性と楽しく暮らす少女に余計な口出しをする人たちの姿が描かれていましたが、

この物語でも自分の考えとは違う生き方をする人に余計な口出しをする人たちの滑稽さが描かれていたので、そんな人間にはならないでおこうと思えました。
感想②:答えはひとつではない
では、なぜ余計な口出しをする人たちが現れるのでしょうか。
椿は次のように言います。
ずれてるというのは標準モデルがいると仮定しているからでしょ。でもほんとはいないんだよ。そんなのどこも。
朔は、他の子供よりも動作が遅く、字を書くのも、体操服に着替えるのも誰よりも時間がかかりました。
保育園の運動会のときは、練習から遁走したりしていました。
しかし、椿は「みんなが踊っているから踊らなきゃだめだよ」と言うことに抵抗がありました。
彼女が「みんなが持ってる」という理由で文房具やおもちゃを欲しがったとき、母が「うちはうち、よそはよそでしょ」と言ったからです。
また、母は「みんなが死んだら死ぬわけ?」と嫌なことを言って追い詰めてきたからです。
村田沙耶香さんの小説『コンビニ人間』では、普通とは何か?と考えさせられる物語が描かれていましたが、

この物語では、生き方に正解はなく、みんながやってるからなんて理由にならないことがわかります。
感想③:ありのままの自分を受け入れれば人生は何度でもやり直せる
さて、この物語では、ありのままの自分を受け入れれば、人生は何度でもやり直せるをテーマに描かれているように思います。
椿の同級生で朔と同い年の子供がいる静原は、妻がヒステリックになっていましたが、
ただ遠くから眺めていただけで、自分には関係のないことだと言って、問題と向き合おうとはしませんでした。
鈴菜もある理由があって、息子の朔と向き合おうとしませんでした。
しかし、椿にあるがままの自分を受け入れろと指摘されて変わっていくんですよね。
西加奈子さんの小説『ふくわらい』では、ありのままの姿を受け入れてくれる恋人のおかげで感情を取り戻していく主人公の姿が描かれていましたが、

この小説では、ダメなところも自分だと受け入れて前を向いて生きていけば、人生は何度でもやり直せると思える物語が描かれていました。
まとめ
今回は、寺地はるなさんの小説『わたしの良い子』のあらすじと感想を紹介してきました。
生き方に正解なんてないことがわかる物語なので、気になった方は、ぜひ読んでみてください。
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