人生が面白くないのは誰かのせいだと思っていませんか?
私はあまりにも思い通りにいかないときに、他人や環境のせいにしがちですが、永井紗耶子さんの小説『木挽町のあだ討ち』を読んで、自分の覚悟が足りないからだと気づかされました。
人生が面白くなるかどうかは自分次第だと教えてくれる物語でした。
『木挽町のあだ討ち』のおすすめポイントとあらすじ
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『木挽町のあだ討ち』の感想
生きていると思い通りにならないことがあります。
自分の想いを貫けなかったり、道理に反することがまかり通ったりすることが多々あります。
そんなとき、多くの人は恥じたり、現実から目を背けて八つ当たりをしたり、周りを嘲笑ったりすることで誤魔化そうとしますが、『木挽町のあだ討ち』に登場する人たちは違いました。
たとえば、武家の三男として生まれた与三郎は、道場の師範になれる腕を持っていましたが、ライバルに嵌められ、道場を追い出されました。
小作人の子として生まれた芳澤ほたるは、山が噴火したせいで物乞いになり、母も亡くなったので、焼き場で働き、その後、仕立て職人に弟子入りしましたが、焼き場で働いていたという理由で、白い帷子しか縫わせてもらえませんでした。
それでも、彼らは人生を諦めずにしなやかに生き続け、今では芝居小屋で立廻りの振り付けをする立師として、衣装を整える女形として森田座を盛り上げていました。
このように、彼らがどん底から這い上がれたのは、人生が面白くなるかどうかは、環境や周りの人たちではなく、自分の覚悟で決まることに気づいたからです。
誰かに面白がらせてもらおうと考えるのは、拗ねている童と一緒で、でんでん太鼓を鳴らせるようになれば、そこから先の退屈や苦悩は自分でどうにかするしかありません。
もちろん、彼らがどん底から這い上がれたのは、周りの人たちの助けがあったからでした。
しかし、周りの人たちに助けられるかどうかも、自分の覚悟で決まります。
今が望ましい人生でないなら、舞台上の役者になったつもりで、苦労をしなやかに受け止め、望ましい人生を生きる自分を演じてみようと励まされる物語でした。
父の仇討ちを見事果たした「木挽町のあだ討ち」の真相に迫る物語に興味がある方におすすめの小説です。
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