読み終わったときに、「もう少し肩の力を抜いても大丈夫だよね…」と脱力しました。
私も昔、主人公と同じように(それ以上に?)、毎日が戦いのような日々を過ごしてきたので、あるべき姿(正しさ)を追い求めて生きなくてもいいよね…と共感できました。
もちろん、あるべき姿を目指して生きることが悪いわけではありませんが、それだけだと息苦しくなります。
正解を求めすぎる超真面目な人たちに、もう少し肩の力を抜いても大丈夫だと、後押ししてくれる物語です。
『ホテルジューシー』の情報
おすすめポイント
『ホテルジューシー』のあらすじ
18歳の柿生浩美は、大学生になって初めて、自由な夏休みを手にしましたが、時間を持て余していました。
彼女は、物心ついてからずっと年の離れた弟妹の世話をしてきました。
家族や友人たちの役に立つ生き方をしてきたので、いざ自由にしていいと言われると、どうしていいかわからず、不安になりました。
そこで浩美は、卒業旅行のために資金を貯めようと、沖縄の宿でアルバイトを始めます。
ところが、浩美が働くことになったゲストハウス・ホテルジューシーは、彼女が嫌いな「だらしない人たち」ばかりだったので…。
『ホテルジューシー』の感想
嫌っていた価値観を受け入れて成長していく主人公が魅力的
身の丈にあわない物を身につける人間が嫌いだ。
でももっと嫌いなのは、だらしない人間。
そんな無責任な人間と一生つきあわずにいられたら、私はきっと幸福に違いない。
…と考える超真面目な主人公が、地元から遠く離れた沖縄で、大嫌いな「だらしない人たち」に囲まれて日々を過ごす、という展開に一気に引き込まれました。
昼間は寝てばかりいて、受付の交代を頼んでも、2時間も我慢できないオーナー代理や、客のビキニを勝手に引っ張って遊ぶ掃除係の双子のおばあさんなど、だらしない人たちばかりです。
常連客も体が良くないのに、朝からお酒を飲んだり、二人組のギャルもせっかく沖縄に来たのに、観光もせず、沖縄料理も食べずにハンバーガーを貪るなど、自由に振る舞います。
そんな大嫌いな「だらしない人たち」を正そうと奮闘する浩美でしたが、少しずつだらしなさに免疫?がついてきて、彼らを受け入れていく姿に心が動かされました。
自分とは異なる価値観に反発しながらも、受け入れて、少しずつ成長していく浩美を応援したくなる物語です。
正しい生き方よりも一つでも楽しさを増やす自由な生き方をしたくなる
とはいえ、個人的にいちばん心に残ったのは、「正しさは尺度にならない」というオーナー代理の言葉です。
浩美は自分が正しいと思う価値観に従って、客に対してお節介とも言える行動を繰り返しましたが、時にはそうした行動が、相手を傷つけるだけの自己満足であることに気づきます。
それでも、自己満足をやめられずにいた浩美に対して、オーナー代理は、
正しくないから助けてあげる。なんとかしてあげる。あたしがいなくちゃあの人たち、どうしようもないんだから。
と考えるのは、片目をつぶることのできない子供の理論で、浩美がいなくても世界は回っていくと言い切ります。
だからこそ、正しさを追い求める生き方がすべてではなく、一緒にいることで、相手まで楽しくなるような自由な生き方を選ぶこともできるんだよ、と悟らせるんですよね。
たしかに、浩美のような正解を求める生き方は、時に他人を傷つけるだけでなく、他人に必要とされない自分には価値がないと思い込み、自分まで苦しめてしまいます。
反対に、他人に迷惑をかける自由な生き方は、相手から迷惑をかけられることも許容できるので、正しさを求めるよりも楽しく生きられるはずです。
とはいえ、頭ではそれがわかっていても、正解がない、自由な生き方を選ぶのは、超真面目な人たちにとっては難しいことです。
「あるべき姿(正解)」を思い浮かべては、現実とのギャップに苦しみ、また苦しんでいるからこそ、あるべき姿とは正反対の自由に生きる芸能人や政治家、周りの人たちを叩くことで、さらに正しさを追い求めてしまいます。
そんな頭でっかちになって、正しさを追い求める生き方から抜け出せなくなったときは、浩美のように、今の環境から少し離れて、価値観の違う人たちと交わってみるのもひとつの方法。
この物語に登場するような「だらしない人たち」と交わって、その瞬間を楽しみ、頭の中がグチャグチャになれば、今よりもきっとラクに生きられるはずです。
たとえ「正しさ」とはかけ離れていても、好きなことに手を伸ばしてみよう!という気持ちが湧き上がってくるはずです。
私も、正しさを追い求めずに、今この瞬間の楽しさがひとつでも増える生き方を心がけています。
実は、読書もそのひとつだったりします。
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