大きく道を踏み外したことはありますか?
私はありませんが、東野圭吾さんの小説『美しき凶器』を読んで、一度道を踏み外すと戻れなくなるのかもしれないと思いました。
次々と罪を重ねて不幸になっていく人たちの姿に心が痛む物語でした。
『美しき凶器』のおすすめポイントとあらすじ
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『美しき凶器』の感想
人生は分岐点の連続です。
しかも、分岐点の先に、どのような未来が待っているかは誰にもわからないため、誤った道を選んでも、進み続けるしかありません。
『美しき凶器』に登場する人たちも、誤った道を進み続けていました。
たとえば、過去に大きく道を踏み外した4人のスポーツ選手たちは、過去の過ちを世間に公表されそうになったので、仙堂という男の屋敷に忍び込み、証拠を探します。
しかし、すぐに仙堂に見つかり、その場で関係者に連絡すると言われたので、彼が所持していた銃を奪って殺しました。
さらに、仙堂の屋敷に火をつけて、仙堂を殺したことも、自分たちが過去に犯した過ちも、もみ消そうとします。
ところが、仙堂にこっそり育てられた、超人的な身体能力をもつ女性が、屋敷に設置された防犯カメラでその一部始終を見ていたので、仙堂の敵討ちをするために、彼らを殺そうと迫りました。
というように、4人のスポーツ選手たちは、過去に誤った道を選んだことがきっかけで、不法侵入をし、殺人に手を染め、証拠を隠滅するために放火までしましたが、復讐者に命を狙われるハメになります。
もちろん、何度も分岐点に直面し、自首するなど別の道を歩むこともできたはずですが、罪を認めたくない一心で、次々と誤った道を選びました。
つまり、誤った目的を持ってしまうと、どれだけ分岐点に直面しても、踏みとどまることができなくなるのです。
では、誤った目的を持っている限り、踏みとどまることはできないのでしょうか。
『美しき凶器』に登場する復讐者のラストが、誤った目的を持っていても踏みとどまれる可能性があることを示唆しています。
ただし、その代償は大きく、心が掻きむしられるような痛みを覚えるものだったので、そもそも誤った目的を持たないでおこうと思える物語でした。
毒蜘蛛のような復讐者に恐怖するだけでなく、ラストは心が掻きむしられるような痛みを覚える物語に興味がある方におすすめの小説です。
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