アイヌ民族の歴史をご存知ですか?
私はあまり知りませんでしたが、ロシアのウクライナ侵攻で興味を持ちました。
以前、プーチン大統領が「アイヌ民族をロシアの先住民族に認定する」と発言していたからです。
そこで今回は、「才能を失っても、アイヌの真実を世に広めたい!」と人生をかけて奮闘する、最上徳内の半生を描いた小説『六つの村を超えて髭をなびかせる者』をご紹介します。
『六つの村を超えて髭をなびかせる者』の情報
おすすめポイント
『六つの村を超えて髭をなびかせる者』のあらすじ
老中・田沼意次が実権を握る江戸中期。
幕府は南下を進めるロシアに対抗するために、蝦夷地開発に乗り出しました。
このとき、算額の才能を発揮して「音羽塾」で頭角を現していた最上徳内は、師匠・本多利明の後押しもあって、蝦夷地見聞隊に参加します。
はじめは、見知らぬ土地に行けることを喜んでいた徳内でしたが、アイヌの人たちと出会い、現状を目の当たりにしたことで…。
『六つの村を超えて髭をなびかせる者』の感想
【心が痛む】争いを好まないからこそ苦しむことになったアイヌの人たち
北海道は、蝦夷と呼ばれていたことをご存知ですか?
江戸時代中期。和人(アイヌからみた日本人)は、蝦夷で暮らすアイヌの人たちを夷人(野蛮人)と呼んでバカにしていました。
特に蝦夷を支配していた松前藩は、アイヌの人たちがとった動物や魚、植物と交換する米の量を少しずつ減らすなど、詐欺ともいえる行為を繰り返していました。
アイヌの人たちが、狩猟民族だったこともあり、文字を書く文化がなかったため、誤魔化せていると思っていたからです。
ところが、アイヌの人たちは、米を減らされていることに気づいていました。しかし、争いを好まなかったため、指摘しなかったのです。
その結果、松前藩は、アイヌの人たちを労働力として酷使しつづけるために、文字を覚えることも、農耕をすることも禁止します。
争いを好まないからこそ、松前藩に自由を奪われたアイヌの人たちの姿に心が痛み、優しさだけでは自由は手に入らないのだと、さらに心が痛みました。
【驚き】賄賂のイメージが強い田沼意次がとった意外な政策とは
一方、十代将軍・徳川家治のもとで、老中として力をふるっていた田沼意次は、蝦夷に興味をもち、探検隊を派遣しようと考えます。
「ロシアが南下してくるかもしれないから、蝦夷地を開発して防備したほうがいい」という進言を受けたことも関係していましたが、意次はロシアとの交易まで考えていました。
しかも、南部や津軽(現在の青森県)を中心とした奥羽地方(現在の東北地方)には、飢饉にあえぐ人たちが大勢いたので、それさえも解決しようと考えていたのです。
「救い米」や「金子の融通」をしても、一時的なものに過ぎず、大凶作になれば再び同じ地獄絵図が繰り返されます。
しかし、広い蝦夷地に畑を拓けば、その実りは、今お腹を空かせて喘いでいる奥羽地方の民の糧になる…そう考えて、蝦夷地見聞隊を派遣することにしたのです。
賄賂政治家というイメージが強い田沼意次でしたが、『六つの村を超えて髭をなびかせる者』を読んで、そのイメージが覆りました。
【感動】アイヌの本当の姿を世に広めるために人生をかけた最上徳内の半生
田沼意次が蝦夷に派遣した探検隊のなかには、主人公・最上徳内の姿がありました。
厳しい身分制度が敷かれていた時代にも関わらず、農民出身の徳内が参加できたのは、幼い頃から学問が何よりも好きで、「音羽塾」で頭角を現していたからです。
徳内は、はじめは知らない土地に行けることへの好奇心から蝦夷に向かいましたが、アイヌの人たちと関わり、次第に彼らの暮らしを守ろうという気持ちが高まっていきます。
算額の才能を磨くことをやめ、アイヌ語やロシア語を覚えたり、アイヌの人たちの暮らしを知ることに情熱を燃やし、彼らの自由を勝ち取るために行動していくんですよね。
松前藩から出入りを禁止されても、田沼意次の失脚で罪なき罪で牢にとらわれても、蝦夷に行ってアイヌの人たちの自由を勝ち取りたい一心で行動し続けます。
算額の才能を失っても、人生をかけて「アイヌの真実を世に広めたい!」と奮闘する最上徳内の半生に、感動と少し嫉妬してしまう物語でした。
まとめ
今回は、西條奈加さんの小説『六つの村を超えて髭をなびかせる者』のあらすじと感想をご紹介しました。
「才能を失っても、アイヌの真実を世に広めたい!」と人生をかけて奮闘する、最上徳内の半生に、感動と少し嫉妬してしまう歴史小説です。
今だからこそ「アイヌの歴史に触れてみたい」という人にもおすすめです。
ぜひ読んでみてください。
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