言葉には力がある。たとえば、2008年のアメリカ合衆国大統領選挙で、バラク・オバマ氏が民主党の候補者に選ばれたのは、「言葉の力」を用いたからだ。
当時、「次の大統領候補に」という呼び声が最も高かったのは、資金力と知名度で圧倒的優位に立っていたヒラリー・クリントン氏。オバマ氏が敗れるのは火を見るよりも明らかだった。そこでオバマ氏は、「言葉の力」で巻き返しをはかる。
いつの世も有権者たちは、「どうせ政治家なんて信じられない」と思っている。だからオバマ氏は、人々の疑いを吹き飛ばすために、「希望、そして変化」を信じてもらえるよう訴えかけていった。その結果、多くの有権者たちがオバマ氏の言葉に動かされ――オバマ氏は見事初戦を勝利で飾ることができた。
一方、初戦に敗れたヒラリー氏は、オバマ氏の「経験不足」を指摘することで巻き返しをはかる。自分の実績を強調し、オバマ氏のいう「希望や変化」は言葉だけに過ぎないと攻撃した。
しかし、オバマ氏はそんな批判にもめげず、「私たちにはできる(Yes We can)」を合言葉に各地で演説を展開。徐々に人々の心を捉えていく。その結果――ニューハンプシャー州で敗れはしたものの、オバマ氏が民主党の候補者に選ばれることになった。すなわち、有権者たちは、ヒラリー氏の「実績」よりも、オバマ氏の「言葉」に期待を寄せたのである。
「言葉の力を、あなたも信じてみたらどう?」とは、伝説のスピーチライター久遠久美の言葉だ。小説『本日は、お日柄もよく』は、平凡なOL・二ノ宮こと葉が、想いをよせていた幼馴染の結婚式で、涙が溢れるほど感動的なスピーチに出会い、そのスピーチライターである久美に弟子入りするところから物語がはじまる。
久美に弟子入りしたこと葉は、久美から「スピーチの極意 十箇条」なるものを教わった。それは:
- スピーチの目指すところを明確にすること
- エピソード、具体例を盛りこんだ原稿を作り、全文暗記すること
- 力を抜き、心静かに平常心で臨むこと
- タイムキーパーを立てること
- トップバッターとして登場するのは極力避けること
- 聴衆が静かになるのを待って始めること
- しっかりと前を向き、左右を向いて、会場全体を見渡しながら語りかけること
- 言葉はゆっくり、声は腹から出すこと
- 導入部は静かに、徐々に盛り上げ、感動的にしめくくること
- 最後まで、決して泣かないこと
久美は、この十箇条の基本となる「静」の考え方をこと葉に教えていく。
まず、心を平静にして思い浮かべる。このスピーチの目指すところはどこにあるのか。それは、スピーチをする場や状況によってさまざまだ。披露宴のときは、新郎新婦を祝って。弔事ならば、故人を偲び、遺族を思いやって。国会の演説ならば、国民全体の気持ちを代弁しなければならない。
それから、スピーチに向かうとき。必要以上に力を入れたり、虚勢を張ったりする必要はない。力を抜き、心静かに平常心で臨む。
そして、壇上に上がって、まず五秒待つ。会場が静かになるのを。五秒で無理なら、十秒。それでもダメなら十五秒。十五秒というのは、けっこう長い。たいてい、聴衆は十五秒以内に静まる。だから、壇上に上がってすぐに始めずに、五秒間隔で静かになるのを待つ。
スピーチの導入部も、あくまで静かに始める。はじめ方はさまざまだが、「ただいまご紹介にあずかりました」とか「ひとことお祝いを述べさせていただきます」というような、無駄な枕詞は極力避ける。いきなりエピソードから始めてもいい。結論を先に言ってしまってもいい。とにかく、最初のフレーズがどんなふうに聴衆の耳に届くか。それでそのスピーチの印象が決まる。聴衆を煽る激しい言葉や、あまりにも力強いフレーズは避ける。あくまでも、静かに、けれど心を打つ入り口を作る。
原稿はきっちり仕上げる。けれど、決して読まない。どれだけすぐれた原稿であっても、棒読みになったとたん、聴衆の関心が薄れるから。必ず全文暗記すること。とはいえ、あまり複雑で長い原稿は覚えられないから、短くまとめること。その中で、自分でも覚えやすいエピソードを交えるといい。言葉を贈る自分も、贈られる側も、一生忘れないようなエピソードを――。
こうして久美は、こと葉にスピーチの基本を教えていく。そして、こと葉は、久美からの教えを実践を通して学んでいく。友人の結婚スピーチから、政権交代を掲げる野党のスピーチライターまで。そして、「言葉の力」にどんどん魅了されたこと葉は、OLを辞め、久美と同じスピーチライターを職業とする。
さて、小説『本日は、お日柄もよく』は、これまで紹介してきたようにとても実践的な物語でもある。結婚式のスピーチを頼まれて困っている人に役立つだけでなく、小説家を目指す若者やブロガーなど、言葉を操るすべての人に「言葉の大切さ」と「言葉の使い方」を教えてくれる。もちろん、「言葉に力などない」と反論する人にもオススメの小説だ。この物語を読めば、きっと「言葉の力」に魅了されるだろう。