webstation plus

crowd_01

 人間にとって大切なのは、この世に何年生きているかということではない。この世でどれだけの価値のあることをするかである。

(オー・ヘンリー)

 たしかに、「価値」を生み出すことは大切だ。私たちが仕事をするのも「価値を生み出す」ためであり、究極的には「生きていること」それ自体も価値を生み出すためである。

 しかし、価値を生み出すことばかりに目を向けて、価値を生み出せない人たちを否定するのはどうなのだろうか。リストラするのはどうなのだろうか。

 小説『ラプラスの魔女』は、一見ムダに思えることにも価値があることを教えてくれる物語だ。

 「いつか国家元首やハリウッドスター級の大物の身辺警護をしてみたい」と夢見る元警察官の武尾徹は、円華という若い女性のボディーガードを依頼される。高額報酬ということもあって二つ返事で引き受けた武尾だったが、円華がどういう人物なのかは何一つ教えてもらえなかった。

 しかし、ボディーガードとして円華と行動をともにするようになった武尾は、あることに気づく。彼女の周囲では、しばしば不思議な現象が起きるのだ。たとえば、円華は風船や紙飛行機を思いどおりに飛ばすことができる。他にも、川に帽子が落ちても曲線を描きながら彼女の元へと戻ってきたり、雨がやむ時間をぴたりと当てることができる。だから武尾は、円華には「不思議な力」が備わっているのではないか、と疑いはじめる。しかし、彼が疑いはじめたのと時を同じくして、円華は武尾のもとから去っていった。

 円華が武尾のもとを去った頃、温泉地で散歩に出かけた水城義郎が硫化水素中毒によって死亡する。状況をみるかぎり、財産目当てで結婚した水城の年下の妻が怪しいのだが、気化した硫化水素の流れを自由に操ることができなければ犯行は不可能。だから、警察は水城の妻を取り締まることができなかった。

 その後、別の温泉地でも硫化水素による死亡事故が起きる。二つの事故は300キロメートルほど離れていたが、ある共通点があった。それはどちらの現場でも円華が目撃されていたのである。はてして、彼女は何のために事故現場に現れたのか――。

 さて、少しだけネタばれになるが、円華には「未来を見通すことができる力」があった。「ラプラスの悪魔」と呼ばれる能力だ。フランスの数学者であるラプラスは、「ある瞬間における原子の位置と運動量を知り、解析することができれば、不確実なことはなくなり、未来を完全に見通すことができる」と提唱した。だから、円華は「ラプラスの魔女」と呼ばれたのである。

 では、円華には世界がどのように映っているのだろうか。本書では縁日にたとえて次のように書かれている。

 縁日では、ずらりと屋台が並ぶ細い通路を大勢の人々が行き来する。しかし、ぶつかることはほとんどない。なぜか?

 それは、向こうへ行く人間とこっちへ来る人間の流れがあり、それに従っているからだ。もちろん、誰もそんなことを意識して歩いているわけではない。無意識のうちに、自分にとって楽な方法、得な方法を選んでいる。つまり、個人個人は自由な意志で動いているつもりでも、人間社会という集合体としてみた場合、その挙動を物理法則に当てはめれば予測することができるのだ。そして、円華には人間ひとりひとりが原子のようにみえているというのである。

 では、私たちひとりひとりが原子だとすると、いったい何がいえるのか。結論からいえば、一見何の変哲もなく、価値もなさそうな人々こそが社会の重要な構成要素であるということだ。

 ひとつひとつは凡庸で、無自覚に生きているだけだとしても、集合体となったとき、劇的な物理法則を実現していく。縁日の現象もそのひとつだろう。つまり、原子ひとつでは何も成し遂げられないかもしれないが、原子が集まって集合体となったときには、大きな「変化」が起こせるのである。そして、その「変化」は原子ひとつひとつの流れによって決まる。つまり、ひとりひとりがどのように行動するかによって決まるのだ。だから、この世界に存在意義のない個体などない。もちろん、ただのひとつとして。

 さて、この物語からわかることは、私たちは誰もが自分の役割を果たしているということだ。たとえ、ムダな動きをしているように見えても、それさえも意味がある。だから、ムダを省こうとするのではなく、そのムダをどうやって生かしていくかを考えるべきなのだ。

 実際、そのように考えることができれば、毎日がもっと楽しくなるはずだ。仕事だけでなく、子どもと遊んでいる時間やパートナーの愚痴を聞いている時間も、楽しくなる。なぜなら、それらはすべて誰かの役に立っているのだから――。

 関連記事

今の生き方でどれくらい生きるつもり?/『終末のフール』感想

 「才能もないのに努力するのは時間のムダだ」とか、「新しいことを始めるよりも、今やっている何かを諦めることが大切だ」っていう人いますよね。実は、こういった言葉の背後には、「私たちはいつか死ぬ」という当たり前の事実が隠され …

『魔王』は自分の考えを信じる大切さを教えてくれる小説

(※『魔王』表紙より)  伊坂幸太郎さんの小説『魔王』。政治を舞台に、他人の意見に同調することの怖ろしさと自分の考えを信じる大切さを教えてくれる物語です。  今回は、『魔王』のあらすじと感想を紹介します。  『 …

モテる女性に共通している特徴とは?/池井戸潤『不祥事』

 小説やドラマを観ていると、「本当に素敵な人だなぁ…」と心から惚れてしまう人に出会うことがあります。  たとえば、ドラマ『トリック』に出演されていた仲間由紀恵さん。本当にキレイな方なのに面白い。もちろん、ドラマの設定上「 …

信じる力の恐ろしさを教えてくれる小説『リア王』

 「プラシーボ効果」をご存知でしょうか。  別名、偽薬効果とも呼ばれており、たとえば夜眠れないと訴える患者に、医師が睡眠薬と偽ってビタミン剤を処方すると、患者は薬の効果を信じて安眠できるようになります。  他にも、「もっ …

言葉には力がある/原田マハ『本日は、お日柄もよく』

 言葉には力がある。たとえば、2008年のアメリカ合衆国大統領選挙で、バラク・オバマ氏が民主党の候補者に選ばれたのは、「言葉の力」を用いたからだ。  当時、「次の大統領候補に」という呼び声が最も高かったのは、資金力と知名 …

『まほろ駅前多田便利軒』は心の奥底を揺さぶられる小説

(※『まほろ駅前多田便利軒』表紙より)  三浦しをんさんの小説『まほろ駅前多田便利軒』。人間の闇の部分に焦点を当て、それを暗すぎず、明るすぎず、ちょうどいい文体で描かれた小説です。読み進めていくうちに心の奥底を揺さぶるこ …

登場人物が薄っぺらい人間ばかりの小説『白ゆき姫殺人事件』

 他人をあれこれ評価していませんか? 「あいつは仕事のやり方が悪い」 「いい人なんだけどダサいよね」 「あれじゃ、結婚できなくて当然」  などなど。もし、普段からこのような陰口を言っているようなら、キッカケさえあれば友人 …

『フィッシュストーリー』は異なるジャンルの4作品が楽しめる中編小説

(※『フィッシュストーリー』表紙より)  伊坂幸太郎さんの小説『フィッシュストーリー』。伊坂ワールドで大人気の泥棒・黒澤が活躍する『サクリファイス』『ポテチ』など、ジャンルの異なる4作品を集めた中編小説集です。  黒澤フ …

「表現の自由」は守るべきなのか?/有川浩『図書館戦争』

 私たち日本人は、昔から「表現の自由」を制限されて生きてきた。たとえば、江戸時代。江戸時代には、キリスト教や幕府批判が禁止され、出版物から言論にいたる「幅広い表現」が取締りの対象であった。実際、幕府の軍事体制を批判する内 …

「退屈」こそが人生を切り開く/冲方丁『天地明察』

 好きでもない仕事に「のめり込む」のはリスクが高い。なぜなら、自分のミッションに気付く前に、目の前にある仕事に満足してしまう可能性があるからだ。もし、目の前にある仕事がどうしても好きになれないのなら――その仕事に打ち込む …