他人に勝とうと必死になっていませんか?
私も以前は他人に負けないように努力していましたが、今では自分のやりたいことに向かって行動するようになりました。
北方謙三さんの小説『道誉なり』は、道誉の一生を通して、
自分のやりたいことに向き合う人生を過ごしたほうが、充実した一生を過ごせることがわかる物語なんですよね。
おすすめ度:
こんな人におすすめ
- 他人に勝つことよりも自分に負けない生き方が大切だと思える理由を知りたい人
- 室町時代の物語に興味がある人
- 歴史・時代小説が好きな人
- 北方謙三さんの小説が好きな人
あらすじ:バサラ大名として生きる主人公の物語
物語の舞台は南北朝時代の日本。
主君であり執権である北条高時を足利尊氏が攻め滅ぼすところから物語が始まります。
このとき、主人公の佐々木道誉は、近江守護職の六角氏を惣領と仰ぐ武士の一人でした。
尊氏とは身分に大きな差がありましたが、ひとりの男として尊氏に勝とうと心に誓います。
そこで道誉がとった戦略は、尊氏の命令に従って生きるのではなく、可能な限り自分の意思を通して生きること。
バサラ大名として生きることにしたのです。
道誉は、政治・経済・軍事・芸能など、あらゆる面で非凡な才能を発揮し、世の中を動かしていきます。
力で他人をひれ伏せて、すべてを手に入れようとした尊氏と、
才能で世の中を動かそうとした道誉の対照的な二人の生き様が楽しめる物語です。
頂点に立っても欲望は満たされない!?
当時の日本の頂点に立つ存在といえば「天皇」です。
足利尊氏に祭り上げられた後醍醐天皇は、日本の頂点に立ちましたが、権威だけでなく武力も手に入れようとしました。
そこで、息子の大塔宮を尊氏の代わりに征夷大将軍にしようとします。
ところが、尊氏と大塔宮の水面下での戦いは尊氏が圧勝しました。
すると、後醍醐天皇は簡単に息子を切り捨てて、次の策略に手をつけます。
こうして後醍醐天皇は次々と手を打って尊氏から武力を取り上げようとしますが、
後醍醐天皇がこのような策略に走ったのは、すべてを手に入れないと満足できなかったからです。
尊氏という自分の思い通りにならない存在が許せなかったんですよね。
また、当時の日本という国は、帝の存在なくして力を得ることができませんでした。
どれだけ力を得ても、帝に刃向かうと逆賊扱いされてしまいます。
後醍醐天皇はこのことを利用して好き勝手に振る舞ったのです。
そんな後醍醐天皇の姿をみた尊氏は、
「何の力もないのに、天皇家の血をひいているだけで権威を持つ帝。誰もが自分にひれ伏して当然と思い、民のことを考えもせずに自由に振る舞う帝という存在は本当に必要なのか」
と思うんですよね。
とはいえ、尊氏も…。
他人の犠牲の上に幸せは築けない
自分がすべての頂点に立とうと考えていました。
尊氏は後醍醐天皇と対決するだけでなく、忠臣を見殺しにしたり、弟を殺したり、挙げ句の果てには息子まで殺そうとします。
自分の欲望を満たすためには他人の犠牲を厭わなかったのです。
根本的に尊氏は後醍醐天皇とよく似ていました。
しかし、そうまでして尊氏が手に入れたものは、とても虚しいものでした。
征夷大将軍になり、望む息子に後を譲った尊氏でしたが、このとき彼の周りには心から信頼できる友や部下は誰もいませんでした。
尊氏に残ったのは欲望だけです。
そんな尊氏の姿を見ていると、他人を蹴落としてまで手に入れたものは、とても虚しいものだと思えてくるんですよね。
ここでようやく主人公である道誉の話に移りますが、彼は尊氏と比べて身分は下でしたが、誰にも邪魔されることなく、自分らしく生きていました。
先ほども紹介したように、政治・経済・軍事・芸能など、あらゆる面で非凡な才能を発揮し、世の中を動かしていきます。
力で他人をひれ伏せてすべてを手に入れようとした尊氏と、才能で世の中を動かそうとした道誉。
ある意味、対照的な二人がたどり着いた結末に自分の生き方を見直したくなります。
どちらの生き方を選ぶかは人それぞれですが、他人に勝つことよりも自分に負けない生き方のほうが楽しく生きられるように思えてきます。
あなたはどちらの生き方を選びますか?
まとめ
今回は、他人に勝つことよりも自分に負けない生き方が大切だと思える北方謙三さんの小説『道誉なり』を紹介してきました。
主人公は道誉ですが、足利尊氏や後醍醐天皇の生き様も描かれているので、
気になった方は、ぜひ読んでみてください。
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