警察には事実を、ネットには面白い脚色を
というポリシーでブログを書かれている方も多いと思いますが、あまりにも脚色しすぎると、「とある週刊誌」のように名誉毀損で訴えられることになるかもしれません。ダイエットであれ、お酒であれ、やり過ぎは禁物です。
しかし、いわゆる下世話な週刊誌の記者たちは、やりすぎで訴えられることになろうとも、そうした報道を自主規制しようとは考えていません。つい先日報じられた「夏目三久アナと有吉熱愛!すでに妊娠」のように、火のないところに煙を立てたり、踏み込まれたくないプライベートを公開することでお金を稼いでいます。
これを「プロ根性」と呼んでいいのかどうかはわかりませんが、『絶歌』を出版した太田出版のように、彼らにも「売ったもん勝ち」の精神が宿っているのでしょう。
小説『陽気なギャングは三つ数えろ』/あらすじ&感想
伊坂幸太郎さんの小説『陽気なギャングは三つ数えろ』に登場する雑誌記者・火尻もそのひとり。彼は、これまで悪質な記事で3人を自殺に追い込んできましたが、それでも火のないところに煙を立てたり、他人のプライベートに踏み込むことをやめようとはしませんでした。
なぜなら、少ないリスクで金儲けができるからです。たとえ行き過ぎた取材、報道が発覚したとしても、カタチばかりの謝罪をすれば、それで済みます。
「火尻や火尻の記事を使う雑誌社の言い分はこうだ。『社会的な事件について、読者に関心を持ってもらうためなんだ』と。つまり、『もっと身近に!』ってわけだな。記事はいつだって、読者のため、読者と社会をつなぐ懸け橋でなくては」
「いくら懸け橋といっても、被害者のプライバシーをそこまで書いたらさすがに問題になりそうだけど」
「問題にはなった。雑誌には謝罪記事が載った」「それで?」「それだけだ」「それだけ?」
「ごめんね、これからは気を付けます、の謝罪文が載っただけ。一度書かれた情報は取り消せないというのにな。人の記憶を消すわけにはいかない。結局、職場にもいづらくなったその女性は自殺した」
その後も、火尻は女性を自殺に追い込んだことを反省するどころか、カジノで膨れ上がった借金を返済するために、新たなターゲットを探していました。特ダネを書いて借金を帳消しにしようとしていたのです。
そこで目をつけたのが偶然知り合った銀行強盗の四人組(これがこの物語の主人公たち)。彼らが銀行強盗であるという確証はつかめていませんが、「お前らが銀行強盗の犯人だと書くぞ」と脅すことで、大金を手に入れようと企みます。
というわけで、この物語は、火尻に追い込まれた主人公たちが、最後に逆転するという痛快サスペンスなのですが、現実にも火尻のように根も葉もない嘘や触れてほしくないプライベートな内容を記事にすることで儲けようとしている記者や雑誌社があります。
オウム真理教が実行した松本サリン事件を覚えておられるでしょうか。事件発生当初は、第一通報者であった河野義行さんが容疑者扱いされ、マスコミ各社は確証がないまま彼が犯人だという報道を繰り返しました。時間が経つにつれて報道内容は過熱していきます。
なかでも『週刊新潮』は、「毒ガス事件発生源の奇怪家系図」と題した記事で河野家の家系図を掲載するなど、プライベートな内容まで公表していきました。しかし、地下鉄サリン事件後、河野さんが無実だと判明してからも、謝罪ひとつしていません。
まさに、誰を傷つけようとも「売れたもん勝ち」を信念にしている雑誌社だといえるでしょう。
雑誌社や記者だけに責任があるのか?
とはいえ、そういった低俗な記事がはびこるのは、雑誌社や記者だけに責任があるわけではありません。そういった記事を求めている人たちにも責任があります。
「たかが週刊誌記事ですよ。悪いのは、それに群がって、やいのやいの騒ぐ人たちのほうで。マスコミにはだいたい、報道の自由があって、大衆の知る権利というのを守っているわけだから」
――という言い訳ができる余地を、私たちが与えているわけですね。だからこそ、「低俗な雑誌や本は読まない&買わない」というポリシーを持つ必要があるのです。
というわけで、小説『陽気なギャングは三つ数えろ』は、「低俗な雑誌や本を読むのは時間のムダであり、さらに間接的に誰かを傷つける」ということを教えてくれる小説でした。もし、低俗な本や雑誌を読む時間があるのなら、この小説を読んでみてはいかがでしょうか。